中河内を代表する前方後円墳。名の読みが二通り伝わっている。
心合寺山古墳とはどんな古墳か
大阪府八尾市大竹にある前方後円墳です。文化庁は1966年(昭和41年)2月25日に国の史跡に指定し、解説文に「著名な前方後円墳で、堀をめぐらしている」と記しています。
生駒山地の麓に、等高線に沿うようにして築かれています。周濠が南北二か所の堤で区切られ、その東西で水位が違うという珍しい造りをもちます。前方部を南に、後円部を北に向け、墳丘は三段に築かれているとされます。
近年は史跡公園として整備され、墳丘の平らな部分には円筒埴輪の複製が並べて立てられているといわれます。発掘調査で出土した副葬品は、古墳の脇にある施設で展示されているとされます。墳丘の規模を記した公式ページは確認できませんでした。
心合寺山古墳の読み方と別名
この古墳の読みは、公式の資料の中で二通りに割れています。文化庁のふりがなは「しおんじやまこふん」ですが、同じデータベースの解説文には「心合寺山(しんごうじやま)古墳」と書かれています。
由来をたどると、こうなります。飛鳥時代、この古墳の西側に心合寺(しんごうじ)と呼ばれる寺ができました。その寺の名が古墳の名になり、寺そのものはいつしか無くなり、言い回しだけが訛って「しおんじ」になった、と考えられています。
つまり、古いのが「しんごうじ」、いま通っているのが「しおんじ」です。文化庁のデータベースには、その両方がそのまま残っています。土地の呼び名が移り変わる途中を、資料が写し取った形です。
心合寺山古墳(しおんじやまこふん)
文化庁がふりがなとして記す読み。国指定文化財等データベースはこの読みで載る。
心合寺山古墳(しんごうじやまこふん)
同じ文化庁の解説文に見える読み。もとの寺の名に近いのはこちらとされる。
心合寺(しんごうじ)
飛鳥時代に古墳の西側にあったとされる寺。この名が訛って古墳の名になったという。
心合寺山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
文化庁の解説文は「著名な前方後円墳で、堀をめぐらしている」の一行で、被葬者について書かれた記載はありません。宮内庁の陵墓としての治定も受けておらず、国の史跡として扱われています。
そのぶん、掘ることができます。発掘調査により、前方部の頂の中央に方形壇と呼ばれる施設があり、その下に埋葬施設が一基あることがわかりました。後円部の頂には長さの違う粘土槨が三基あり、そのうち西側の槨で木棺が確認されたとされます。
木棺の周囲からは、夔鳳鏡・甲冑・大刀・鉄剣などが出土したといわれます。副葬品の内容から、5世紀初めごろこの一帯を治めた豪族の墓と考えられています。ただし、名を示すものは出ていません。
断定できない:わかっていない
解説文は「著名な前方後円墳で、堀をめぐらしている」の一行のみで、被葬者にふれていない。
宮内庁の治定は無い。国の史跡として扱われている:治定はされていない
1966年2月25日に史跡として指定され、所在地は八尾市大竹と記されている。
心合寺山古墳の大きさと形
この古墳の墳丘の規模を記した公式ページは、確認できませんでした。文化庁の国指定文化財等データベースは、面積の欄も、時代・年代・西暦の欄も、いずれも空欄としています。
記されているのは、種別が史跡であること、ふりがなが「しおんじやまこふん」であること、指定年月日が1966年(昭和41年)2月25日であること、所在地が大阪府八尾市大竹であること、そして指定基準が「一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡」であることです。
解説文が語る形は「著名な前方後円墳で、堀をめぐらしている」という一行だけ。堀、つまり周濠がめぐることだけが、規模に関わる唯一の記載になります。下調べでは全長およそ160メートルとされますが、公式には確かめられませんでした。
ふりがな:しおんじやまこふん
指定年月日:1966.02.25(昭和41.02.25)
所在地(市区町村):八尾市大竹
種別:史跡
心合寺山古墳はいつ作られたか
心合寺山古墳の場所と行き方(観光情報)
生駒山地の西の麓、河内平野を見下ろす位置にあります。等高線に沿って築かれているため、周濠の水位が場所によって違うという珍しい造りになりました。
大阪府内では、堺市の百舌鳥古墳群、羽曳野市と藤井寺市の古市古墳群、大阪市の帝塚山古墳などが知られます。中河内では、この古墳が代表格にあたります。
心合寺山古墳
心合寺山古墳の住所:大阪府八尾市大竹(文化庁の所在地(市区町村)の欄。番地までは確認できませんでした)
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:国の史跡であり、宮内庁の陵墓ではありません。近年は史跡公園として整備されたとされますが、墳丘に登れるかどうかを記した公式の案内は確認できませんでした
文化庁の国指定文化財等データベースは、所在地(市区町村)を八尾市大竹としています。番地までの住所、行き方、駐車場、料金を記した公式ページは確認できませんでした。
下調べによれば、古墳の隣には学習館があり、有料の駐車場があるとされます。ただし、これも公式には確かめられませんでした。訪ねる前に、八尾市の案内で最新の状況を確かめてください。
心合寺山古墳の発見と調査の歩み
東西で水位の違う濠
この古墳のいちばん変わった点は、周濠の造り方です。
生駒山地の麓、斜面に沿って築かれているため、墳丘の東側と西側とでは地面の高さが違います。そのままでは、濠の水が低いほうへ流れてしまいます。そこで周濠を南側と北側の二か所で堤によって区切り、東西で別々の水位を保てるようにしたとされます。
斜面に古墳を築くこと自体は珍しくありません。等高線に沿って築けば、土を動かす量が少なくて済みます。しかし、そこに濠をめぐらせるとなると、水の始末が問題になります。
堤で仕切って水位を分けるという解き方は、土木の工夫として理にかなっています。文化庁の解説文が「堀をめぐらしている」の一言で済ませているのは、そういう中身を含んだ表現です。
寺の名が、古墳の名になった
この古墳の名は、古墳そのものから来たのではありません。
飛鳥時代、古墳の西側に心合寺(しんごうじ)と呼ばれる寺が建てられました。古墳が造られてから、二百年ほどのちのことです。その寺の名が、寺よりも古い古墳の名になりました。
やがて寺は無くなり、名だけが残り、言い回しが訛って「しおんじ」になったと考えられています。文化庁のふりがなは「しおんじやまこふん」、解説文は「しんごうじやま」。二つの読みが並んでいるのは、この経過を写しているからです。
古墳が地名になった例としては、大阪市の帝塚山古墳があります。こちらは逆に、あとから建った寺の名が古墳に付きました。名の付き方は、一方通行ではありません。
三千本の埴輪と、囲いの埴輪
1993年(平成5年)から2003年にかけて、十次にわたる発掘調査が行われました。その結果、この古墳の飾り方がかなり細かくわかっています。
下調べによれば、墳丘の各段の平らな部分には、およそ三千本の円筒埴輪が並べられていたとされます。しかも、ただ並べたのではありません。円筒埴輪、器財埴輪、形象埴輪を規則正しく組み合わせて並べる決まりがあったといわれます。
出土した埴輪のうち注目されたのが、囲形埴輪です。板塀で何かを囲った形をかたどった埴輪で、これに似た構造の板塀の跡が奈良県御所市の秋津遺跡から見つかったとされます。埴輪が実際の施設を写していたことを示す例です。ただし、これらは公式に確かめられたものではありません。
心合寺山古墳から出土したもの
文化庁の解説文は「著名な前方後円墳で、堀をめぐらしている」の一行のみで、出土品について記した公式ページは確認できませんでした。
下調べによれば、後円部の頂に粘土槨が三基あり、西側の槨で木棺が確認され、その周囲から夔鳳鏡・甲冑・大刀・鉄剣などが出土したとされます。これらは古墳の脇にある学習館で展示されているといわれますが、いずれも公式には確かめられませんでした。
夔鳳鏡
後円部の西槨の周囲から出土したとされる銅鏡。空想上の鳥と獣を表した文様をもつ。
甲冑・大刀・鉄剣
同じく西槨の周囲から。武器と武具を伴う、5世紀の古墳らしい副葬品。
囲形埴輪
板塀で囲った形をかたどった埴輪。奈良県の秋津遺跡の遺構と似ているとされる。
円筒埴輪
およそ三千本が墳丘に並べられていたとされる。器財埴輪などと組み合わせて配置された。
心合寺山古墳と関連する古墳
心合寺山古墳についてよくある質問
心合寺山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。文化庁の解説文は一行で、被葬者にふれていません。副葬品の内容から、5世紀初めごろこの一帯を治めた豪族の墓と考えられています。
心合寺山古墳はどこにありますか。
文化庁は所在地(市区町村)を大阪府八尾市大竹としています。生駒山地の西の麓にあたります。番地までの住所や行き方は公式に確認できませんでした。
心合寺山古墳の大きさはどれくらいですか。
墳丘の規模を記した公式ページは確認できませんでした。文化庁のデータベースは面積の欄も空欄です。下調べでは全長およそ160メートルとされます。
心合寺山古墳はいつ作られましたか。
築造年代を記した公式ページは確認できませんでした。文化庁の時代欄は空欄です。下調べでは古墳時代中期、5世紀初めごろとされています。
心合寺山古墳の読み方はどちらが正しいのですか。
文化庁のふりがなは「しおんじやまこふん」ですが、同じ解説文には「しんごうじやま」ともあります。古いのが「しんごうじ」、いま通っているのが「しおんじ」です。
心合寺山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
粘土槨(ねんどかく)
木の棺を粘土で包んで埋めた埋葬施設。石室より簡素で、古墳時代中期に多い。
囲形埴輪(かこいがたはにわ)
板塀で何かを囲った形をかたどった埴輪。実際の施設を写したものと考えられる。
造り出し(つくりだし)
前方部と後円部のくびれのあたりに張り出した壇。まつりの場と考えられている。
周濠(しゅうごう)
墳丘のまわりをめぐる濠。斜面に築かれた古墳では、水位の保ち方に工夫が要る。
心合寺山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。