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大阪府

市ノ山古墳(允恭天皇陵古墳)とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

市ノ山古墳  / イチノヤマコフン

前方後円墳 5世紀

允恭天皇陵として治定された、古市古墳群の大型前方後円墳。

市ノ山古墳とはどんな古墳か

大阪府藤井寺市にある大型の前方後円墳です。堺市が公表する古墳大きさランキング(日本全国版)では「允恭天皇陵古墳(市野山古墳)」の名で全長約230メートル、全国第19位に挙げられ、所在地は大阪府藤井寺市国府とされています。

宮内庁はこの古墳を第19代允恭天皇の惠我長野北陵として管理しています。宮内庁の示す陵形は前方後円、所在地は大阪府藤井寺市惣社1丁目です。同じ一基について、堺市の一覧と宮内庁とで、別の住所が記されています。

2019年に世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産となりました。同じ群には誉田御廟山古墳墓山古墳古室山古墳が並びます。宮内庁が管理する陵墓であるため墳丘に立ち入ることはできませんが、拝所までは参拝できます。

市ノ山古墳の読み方と別名

読みは「いちのやまこふん」です。「市ノ山」と「市野山」の二通りの書き方があり、どちらも同じ一基を指します。

この古墳には、立場の違う二種類の名が並んでいます。ひとつは宮内庁が用いる惠我長野北陵という陵名で、行政上の扱いを示すものです。もうひとつは市ノ山古墳という考古学上の名で、誰の墓かを決めずに古墳そのものを指します。

堺市の一覧が「允恭天皇陵古墳(市野山古墳)」と二つを並べて書いているのは、この二つの立場を両方示すためです。大仙陵古墳が「仁徳天皇陵古墳」と併記されるのと同じ書き方です。

市ノ山古墳(いちのやまこふん)

考古学の側で用いられる名のひとつ。宮内庁の治定名ではなく、古墳そのものを指す呼び方。

市野山古墳(いちのやまこふん)

同じ古墳の別表記。堺市の古墳大きさランキングは、この表記を括弧に入れて併記している。

允恭天皇陵古墳(いんぎょうてんのうりょうこふん)

宮内庁の治定にもとづく呼び方。堺市の一覧はこの名を先に置き、括弧で考古学上の名を添えている。

惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

宮内庁が用いる正式な陵名。行政上の扱いを示す名で、被葬者が確かめられたことを意味しない。

市ノ山古墳は誰の墓か

宮内庁は、この古墳を第19代允恭天皇の惠我長野北陵として管理しています。ただし治定は行政上の扱いであって、発掘によって被葬者が確かめられたわけではありません。

宮内庁が管理する陵墓は本格的な調査ができないため、埋葬施設の構造も副葬品も明らかになっていません。わかっているのは、出土した埴輪などから5世紀後半に築かれたと考えられる、ということまでです。

古市古墳群の中でこの古墳は、誉田御廟山古墳、仲津山古墳、岡ミサンザイ古墳に次ぐ規模にあたります。群のなかで上から数えて何番目という位置にいた人物の墓、というところまでは言えますが、その人が誰かは決まっていません。

同じ問題は、大仙陵古墳や太田茶臼山古墳でも起きています。

宮内庁の治定(行政上の扱いで、学術的な確定ではありません):第19代允恭天皇

陵名を惠我長野北陵、陵形を前方後円、所在地を大阪府藤井寺市惣社1丁目とする。

断定できない:確かめられていない

堺市の一覧は「允恭天皇陵古墳(市野山古墳)」と併記し、考古学上の名が別にあることを示している。

市ノ山古墳の大きさと形

堺市の古墳大きさランキング(日本全国版)は、この古墳を全長約230メートル、全国第19位としています。全国の20位が宝来山古墳の227メートル、21位が太田茶臼山古墳の226メートルですから、そのあたりに肩を並べる大きさです。

墳丘は三段に築かれ、周囲には濠がめぐります。前方部を南に向け、大きく開いた形をしています。宮内庁が管理する陵墓であるため墳丘の実測は限られており、公表されている数字は全長のほかに多くありません。

古市古墳群の中では、誉田御廟山古墳の425メートル、仲津山古墳の290メートル、岡ミサンザイ古墳の242メートルに続く順です。

墳丘の長さ:約230メートル

古墳大きさランキング(日本全国版)の順位:第19位

所在地(堺市の一覧):大阪府藤井寺市国府

陵名:惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

所在地(宮内庁)・陵形:大阪府藤井寺市惣社1丁目/前方後円

市ノ山古墳はいつ作られたか

築造は5世紀後半と考えられています。根拠は、周辺から出土した埴輪の形です。宮内庁が管理する陵墓であるため墳丘そのものの発掘はできず、年代は外側から集められた資料でしぼりこまれています。

5世紀後半は、古市古墳群と百舌鳥古墳群で巨大な古墳が次々に築かれた時期の終わりごろです。ニサンザイ古墳や峯ヶ塚古墳が同じころにあたります。

允恭天皇の在位が記紀の伝えるとおりだとすると、この年代とはずれが生じます。治定を事実として読まないほうがよいのは、こうした食い違いがあるためです。

市ノ山古墳の場所と行き方(観光情報)

古市古墳群は藤井寺市と羽曳野市にまたがって広がっており、市ノ山古墳はその北寄りにあります。誉田御廟山古墳、墓山古墳、古室山古墳、津堂城山古墳などが徒歩で回れる範囲に並びます。

どれも宮内庁が管理する陵墓か、国の史跡です。陵墓では墳丘に入れませんが、濠の外の道から形を見ることはできます。歩く前に、宮内庁の参拝時間を確かめておくと安心です。

市ノ山古墳(允恭天皇陵古墳)

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市ノ山古墳(允恭天皇陵古墳)の住所:大阪府藤井寺市惣社1丁目

交通:宮内庁は交通アクセスを「近鉄 土師ノ里駅から徒歩約7分」としています

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:宮内庁が管理する陵墓で、墳丘に立ち入ることはできません。拝所までは参拝でき、宮内庁は参拝可能な曜日を「原則、年間をとおして参拝可能」、参拝時間を「原則、8時30分~17時」としています

住所は、宮内庁が示す大阪府藤井寺市惣社1丁目です。いっぽう堺市の古墳大きさランキングは、同じ古墳の所在地を大阪府藤井寺市国府としています。どちらも公式の記載ですので、地図で探すときは両方を手がかりにするとよいでしょう。

近鉄南大阪線の土師ノ里駅が最寄りです。同じ駅からは、仲津山古墳や津堂城山古墳のある一帯へも歩いて回ることができます。

市ノ山古墳の発見と調査の歩み

  1. 二つの住所が並ぶということ
  2. 全国19位という位置
  3. 調べられない古墳を、どう書くか

二つの住所が並ぶということ

堺市の古墳大きさランキングは、この古墳の所在地を大阪府藤井寺市国府としています。宮内庁は、大阪府藤井寺市惣社1丁目としています。

どちらかが誤りというわけではありません。古墳の敷地は広く、いくつもの町にまたがることがあります。堺市が挙げているのは古墳全体のおおよその場所、宮内庁が挙げているのは陵として管理している区域の住所です。古墳の住所が一つに決まらないのは、めずらしいことではありません。

この図鑑では、行き方の欄には宮内庁の住所を、大きさの一覧には堺市の住所を載せています。どちらか一方を消すより、両方を残すほうが現地で役に立つためです。

全国19位という位置

堺市の古墳大きさランキング(日本全国版)は、日本の大きな古墳を全長の順に並べたものです。この一覧で市ノ山古墳は全国第19位、全長約230メートルの位置にあります。

上には仁徳天皇陵古墳の486メートルや造山古墳の350メートルが並び、下には宝来山古墳の227メートル、墓山古墳の225メートルが続きます。

順位が高いことと、被葬者がわかっていることは別の話です。この一覧の上位20基のうち、発掘で被葬者が確かめられたものは一つもありません。

調べられない古墳を、どう書くか

宮内庁が管理する陵墓は、原則として発掘調査ができません。そのため市ノ山古墳では、埋葬施設の構造も、副葬品も、墳丘の細かい実測値も公表されていません。

この図鑑では、そうした欄を無理に埋めないことにしています。わかっていないことを「わかっていない」と書くほうが、読者にとって役に立つと考えるためです。

同じ古市古墳群の中でも、国の史跡である津堂城山古墳では調査が進み、石室や副葬品の姿がわかっています。調べられる古墳と調べられない古墳が、隣り合って並んでいます。

市ノ山古墳から出土したもの

この古墳から何が出たのかは、ほとんどわかっていません。宮内庁が管理する陵墓であるため、墳丘の中を掘ることができないためです。

知られているのは、周辺から集められた埴輪の破片くらいです。築造の年代がしぼれているのも、この埴輪の形によります。いたすけ古墳や津堂城山古墳のように、調査で副葬品の姿がわかった古墳とは、情報の量がまったく違います。

円筒埴輪

筒の形をした埴輪。周辺から出土したものの形が、5世紀後半という築造年代の手がかりになっている。

葺石

墳丘の斜面を覆う石。陵墓であるため詳しい範囲は公表されていない。

周濠

墳丘の周囲をめぐる濠。いまも水をたたえ、外から古墳の形を見わたせる。

市ノ山古墳と関連する古墳

市ノ山古墳についてよくある質問

市ノ山古墳は誰の墓ですか。

宮内庁は第19代允恭天皇の惠我長野北陵として治定していますが、これは行政上の扱いであって、発掘によって確かめられたものではありません。実際の被葬者はわかっていません。

市ノ山古墳はどこにありますか。

宮内庁は所在地を大阪府藤井寺市惣社1丁目としています。堺市の古墳大きさランキングは、同じ古墳の所在地を大阪府藤井寺市国府としています。どちらも公式の記載です。

市ノ山古墳の大きさはどれくらいですか。

堺市の古墳大きさランキング(日本全国版)は、全長約230メートル、全国第19位としています。宮内庁は陵形を前方後円としています。

市ノ山古墳はいつ作られましたか。

出土した埴輪などから5世紀後半と考えられています。陵墓であるため墳丘の発掘はできず、年代は周辺から集められた資料でしぼりこまれています。

市ノ山古墳の中に入れますか。

宮内庁が管理する陵墓ですので、墳丘に立ち入ることはできません。拝所までは参拝でき、宮内庁は原則として年間をとおして、8時30分から17時までとしています。

市ノ山古墳と併せて覚えたい言葉・用語

治定(じじょう)

宮内庁が、ある古墳を誰それの陵墓と定めて管理すること。行政上の扱いであって、発掘で確かめられた被葬者とは限らない。

陵名(りょうめい)

宮内庁が陵墓に付けている正式な名。惠我長野北陵のように、古い記録に見える名がそのまま使われる。

前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)

円い後円部と、台形の前方部をつないだ形の古墳。日本にしかない形とされる。

陪塚(ばいちょう)

大きな古墳のそばに寄り添うように築かれた小さな古墳。副葬品を納めるためのものもある。

市ノ山古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 宮内庁
  2. 堺市