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奈良県

大和古墳群とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

大和古墳群  / オオヤマトコフングン

古墳群 3世紀4世紀

前方後円墳と前方後方墳が混じり合う、奈良盆地東南部の古墳群。

大和古墳群とはどんな古墳か

奈良県天理市にある古墳群です。文化庁は2014年(平成26年)10月6日に、ノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳の古墳域を包み込む形で国の史跡に指定しました。指定面積は17729.89平方メートル、時代は古墳前期とされています。

文化庁は、この古墳群を中山支群と萱生支群からなる24基の古墳で構成されるとしています。ノムギ古墳は墳長63メートルの前方後方墳、中山大塚古墳は墳長130メートルの前方後円墳、下池山古墳は墳長120メートルの前方後方墳です。

文化庁は「大和古墳群は、前方後円墳と前方後方墳が混在するところに大きな特徴がある」としています。箸墓古墳のある纒向の一帯から少し北に寄った、初期のヤマト王権の墓域にあたります。群の中には、手白香皇女の真陵とみる説で知られる西山塚古墳も含まれます。

大和古墳群の読み方と別名

読みは「おおやまとこふんぐん」です。「やまとこふんぐん」ではありません。文化庁のふりがなも「おおやまとこふんぐん」と記されています。

同じ漢字でも、県の名としては「やまと」、この古墳群としては「おおやまと」。読み分けが要ります。

さらに、この一帯の呼び方は入れ子になっています。南から纒向古墳群、柳本古墳群、大和古墳群が南北に並び、この三つをまとめて「オオヤマト古墳集団」と呼ぶことがあります。資料を読むときは、どの範囲を指しているのかを先に確かめる必要があります。

大和古墳群(おおやまとこふんぐん)

文化庁が用いる指定名称。ふりがなも「おおやまとこふんぐん」と記されている。

中山支群・萱生支群(なかやましぐん・かようしぐん)

文化庁が挙げる二つのまとまり。丘陵上と扇状地上とで分けられている。

オオヤマト古墳集団(オオヤマトこふんしゅうだん)

纒向・柳本を含めた広い意味で使われる呼び方。範囲がこちらのほうが広い。

大和古墳群は誰の墓か

この古墳群に葬られた人が誰かは、わかっていません

文化庁の解説文は、ノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳の墳形と石室と出土品を詳しく記していますが、被葬者について書かれた記載はありません。

文化庁が示すのは、この群の位置づけです。「これらの古墳は、畿内地域における出現期古墳の具体的な様相、さらには大和政権の成立から展開を知ることができるという点で極めて重要である」としています。王権が形をとりはじめたころ、その中枢にいた人びとの墓ということになります。

群の中で最大の西殿塚古墳については、宮内庁が第26代継体天皇の皇后とされる手白香皇女の陵として治定しています。ただし築造年代は、治定された人物の想定される時代よりはるかにさかのぼると考えられており、同じ群の西山塚古墳のほうを真の陵とみる説が知られます。

断定できない:わかっていない

解説文は墳形・石室・出土品を記すが、被葬者にはまったくふれていない。

学術的な見方のひとつ:初期のヤマト王権に連なる人びと

「大和政権の成立から展開を知ることができるという点で極めて重要である」とする。

大和古墳群の大きさと形

文化庁は、史跡「大和古墳群」の指定面積を17729.89平方メートルとし、中山支群と萱生支群からなる24基の古墳で構成されるとしています。

個々の規模も記されています。ノムギ古墳は墳長63メートルの前方後方墳で、幅10から14メートルの周濠がめぐります。中山大塚古墳は墳長130メートルの前方後円墳。下池山古墳は墳長120メートルの前方後方墳です。

百メートルを超える前方後方墳がこれだけそろうというのは、全国を見渡してもまれです。前方後方墳は、ヤマト王権の中枢からやや離れた勢力の墓に多いとされますが、この群では王権の膝元に並びます。

史跡の指定面積:17729.89 m2

構成する古墳の数:24基(中山支群と萱生支群)

ノムギ古墳の墳長:63メートル(前方後方墳)

中山大塚古墳の墳長:130メートル(前方後円墳)

下池山古墳の墳長:120メートル(前方後方墳)

大和古墳群はいつ作られたか

文化庁は、史跡「大和古墳群」の時代の欄を古墳前期としています。年代と西暦の欄は空欄です。

古墳前期とは、おおよそ3世紀後半から4世紀にかけての時期を指します。前方後円墳という形が生まれ、全国に広がっていく時期にあたります。

文化庁は、ノムギ古墳について「出土土器から大和古墳群の前方後方墳のなかで築造はもっとも遡る」としています。中山大塚古墳からは特殊器台や都月型埴輪が確認されました。特殊器台は、岡山県で生まれた祭りの道具が古墳に持ち込まれたもので、埴輪の起こりに関わる品です。

すぐ南には、最古級の前方後円墳とされる箸墓古墳があります。

大和古墳群の場所と行き方(観光情報)

文化庁は、この古墳群を「奈良盆地東南部の天理市から桜井市にかけての山麓」に広がる古墳時代前期の巨大古墳のひとつとして位置づけています。山の裾を南北に走る道筋に沿って、古墳が切れ目なく並びます。

南には柳本古墳群と纒向古墳群が続き、黒塚古墳や箸墓古墳、纒向石塚古墳ホケノ山古墳があります。北へ向かえば、奈良市の佐紀の一帯にウワナベ古墳ヒシアゲ古墳が並びます。

大和古墳群(ノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳)

地図で開く

大和古墳群(ノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳)の住所:奈良県天理市(文化庁の所在地(市区町村)の欄。番地までは確認できませんでした)

交通:公式に確認できませんでした

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:史跡の3基について立ち入りの可否を記した公式の案内は確認できませんでした。群の中の西殿塚古墳は宮内庁が管理する陵墓で、墳丘に立ち入ることはできません

文化庁の国指定文化財等データベースは、所在地(市区町村)を奈良県天理市としています。番地までの住所、行き方、駐車場、料金を記した公式ページは確認できませんでした。

注意が要るのは、この群のすべてが同じ扱いではないという点です。史跡に指定されているのは三基で、西殿塚古墳は宮内庁の陵墓です。同じ群の中で、入れる場所と入れない場所が分かれます。

大和古墳群の発見と調査の歩み

  1. 前方後円墳と前方後方墳が並ぶということ
  2. 布に包まれた鏡
  3. 同じ群の中で、扱いが分かれる

前方後円墳と前方後方墳が並ぶということ

文化庁は、この古墳群の特徴をはっきり書いています。「奈良盆地東南部には、古墳時代前期の巨大古墳が多数存在するなかにあって、大和古墳群は、前方後円墳と前方後方墳が混在するところに大きな特徴がある」と。

前方後方墳は、後ろが円ではなく四角い形の古墳です。一般に、ヤマト王権の直接の支配下に入らず、周辺で独自の力をもった勢力の墓に多いとされます。兵庫県の西求女塚古墳もその一例です。

ところが大和古墳群では、その前方後方墳が王権の膝元に前方後円墳と並んで築かれています。しかも下池山古墳は墳長120メートル。小さくありません。形の違いが何を意味していたのか、まだ答えが出ていない問いです。

布に包まれた鏡

文化庁の解説文は、下池山古墳の埋葬施設について変わった記述をしています。後方部に竪穴式石室があり、コウヤマキを用いた木棺が遺存していた。盗掘を受けていたが、鉄剣・鉄刀などの武器、ヒスイ製勾玉、ガラス玉、碧玉製管玉、碧玉製石釧などを確認した。そして、こう続きます。

石室を築く過程で、天井石を石で覆って整えた段階で小石室を構築し、大型仿製内行花文鏡一面が布袋に入れられて納められていた、と。

棺の中ではなく、石室の上に別の小さな室を作って鏡を一面だけ納める。しかも布の袋に入れて。仿製とは、中国鏡をまねて国内で作ったという意味です。何のためにそうしたのかはわかりません。

同じ群の中で、扱いが分かれる

大和古墳群は、ひとつの群でありながら、古墳ごとに扱いが違います。

文化庁が2014年に史跡としたのは三基です。これらは掘ることができ、石室や副葬品が確かめられてきました。いっぽう群中で最大の西殿塚古墳は、宮内庁が手白香皇女の陵として管理しており、研究者であっても許可なく立ち入ることはできません。

この差が、わかることの差になります。西殿塚古墳の築造年代は、治定された人物が生きたとされる時期よりはるかにさかのぼると考えられていますが、掘れないため確かめようがありません。

大和古墳群から出土したもの

文化庁の解説文は、三基それぞれの出土品を具体的に挙げています。中山大塚古墳は鏡の破片・槍先・刀剣類・鉄鏃と各種の埴輪、下池山古墳は武器と装身具、そして布袋に入れられた鏡一面。

注目されるのは、下池山古墳の木棺にコウヤマキが使われていた点です。水に強く腐りにくく、大王級の棺材に選ばれることが多い木です。

半肉彫獣帯鏡の破片

中山大塚古墳の竪穴式石室から。盗掘を受けたのちに確認された。

特殊器台・都月型埴輪

中山大塚古墳から。埴輪の起こりに関わる、岡山県に由来する祭りの道具。

大型仿製内行花文鏡

下池山古墳の小石室から一面。布袋に入れられて納められていた。

ヒスイ製勾玉・碧玉製石釧

下池山古墳から。ガラス玉や碧玉製管玉とともに確認されている。

大和古墳群と関連する古墳

大和古墳群についてよくある質問

大和古墳群は誰の墓ですか。

わかっていません。文化庁は、初期のヤマト王権の成立から展開を知ることができる古墳群としていますが、個々の被葬者にはふれていません。

大和古墳群はどこにありますか。

奈良県天理市です。文化庁の所在地の欄もそう記しています。奈良盆地東南部の山麓、天理市から桜井市にかけて古墳が連なる一帯の北寄りにあたります。

大和古墳群にはいくつの古墳がありますか。

文化庁は、中山支群と萱生支群からなる24基の古墳で構成されるとしています。うち史跡に指定されているのは、ノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳の3基です。

大和古墳群はいつ作られましたか。

文化庁は時代の欄を古墳前期としています。おおよそ3世紀後半から4世紀にかけて、前方後円墳という形が生まれ広がっていく時期にあたります。

大和古墳群の墳丘に登れますか。

立ち入りの可否を記した公式の案内は確認できませんでした。ただし群中最大の西殿塚古墳は宮内庁が管理する陵墓で、墳丘に立ち入ることはできません。

大和古墳群と併せて覚えたい言葉・用語

前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)

後ろが四角い形の古墳。周辺で独自の力をもった勢力の墓に多いとされる。

特殊器台(とくしゅきだい)

岡山県で生まれた祭りの道具。古墳に持ち込まれ、埴輪の起こりに関わったとされる。

仿製鏡(ぼうせいきょう)

中国鏡をまねて国内で作った鏡。舶載鏡と区別され、年代を考える手がかりになる。

コウヤマキ(こうやまき)

水に強く腐りにくい木。大王級の古墳の棺材に選ばれることが多い。

大和古墳群の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁