葛城地方で最大、全国では第18位。長持形石棺がいまも石室に残る。
室宮山古墳とはどんな古墳か
奈良県御所市室にある巨大な前方後円墳です。堺市がまとめた全国の古墳大きさランキングは、この古墳を「室大墓古墳(室宮山)」として墳丘規模238メートル、第18位に置いています。
文化庁は1921年(大正10年)3月3日に国の史跡に指定しました。その解説文は指定当時のままの文語で、「丘陵ヲ利用セル前方後圓墳ニシテ封土ハ二段ニ築カレ松樹及雜木繁茂シ葺石並ニ埴輪圓筒ヲ存ス」と始まります。
後円部には竪穴式石室が二基あり、いずれも兵庫県産の竜山石でつくられた長持形石棺を納めていました。長持形石棺は、大王級の墓に限られる棺です。葛城の地に、これだけの墳丘とこれだけの棺をもつ古墳が突然あらわれます。史跡の範囲はその後も広げられ、直近では2025年(令和7年)9月18日に追加指定されました。
室宮山古墳の読み方と別名
読みは「むろみややまこふん」です。ただし、公的な資料では名が三通りに割れます。文化庁は「宮山古墳」、堺市は「室大墓古墳(室宮山)」、通用しているのは「室宮山古墳」です。
「室」は古くからの地名で、『和名抄』にも大和国葛上郡の「牟婁郷」として見えます。「宮山」は後円部に社が建っていたことによる呼び名、「大墓」は大きな墓という、そのままの呼び方です。
文化庁のふりがなは「みややまこふん」です。国指定文化財等データベースで探すときには、この名で引かないと出てきません。
室宮山古墳(むろみややまこふん)
通用している名。後円部に社が建っていたことから「宮山」と呼ばれるようになった。
宮山古墳(みややまこふん)
文化庁が用いる名。ふりがなも「みややまこふん」と記されている。
室大墓古墳(むろのおおはかこふん)
堺市の全国一覧に載る名。「室大墓古墳(室宮山)」と括弧を添えて書かれている。
室宮山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
文化庁の解説文は、墳丘の様子と、後円部の頂に石槨の蓋石とみられるものが露出していることを記すのみで、被葬者について書かれた記載はありません。宮内庁の治定も受けていません。
古くからある説は二つです。ひとつは、記紀が五代の天皇に仕えたと伝える武内宿禰の墓とする説。中世の『帝王編年記』が、武内宿禰の死んだ場所を「室破賀墓」とする一説を載せていることによります。ただし武内宿禰は、のちに作られた人物と見る向きが強い存在です。
もうひとつは、その子とされる葛城襲津彦とする説で、近年はこちらが有力視されます。襲津彦は『百済記』にも似た名が見え、4世紀末から5世紀前半ごろの実在性が認められているためです。ただし、この古墳を襲津彦の墓とする明確な根拠は知られていません。
断定できない:わかっていない
解説文は墳丘と石槨の蓋石を記すのみで、被葬者にはまったくふれていない。
宮内庁の治定は無い。国の史跡として扱われている:治定はされていない
1921年3月3日に史跡として指定され、2025年9月18日に範囲が追加されている。
学術的な見方のひとつ。明確な根拠は示されていない:葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)
御所市は史跡宮山古墳の保存活用計画を公開している。被葬者を断定した記載は無い。
室宮山古墳の大きさと形
堺市の全国の古墳大きさランキングは、墳丘規模を238メートルとし、第18位に置いています。すぐ上は行燈山古墳(崇神陵)の242メートル、すぐ下は市野山古墳(允恭陵)の230メートルです。
面白いのは、文化庁の解説文が尺で書かれていることです。「封土ノ長軸六百八十四尺後圓部ノ直徑三百四十八尺高サ八十八尺前方部幅三百六十九尺高サ六十八尺」。同じ古墳の大きさが、メートルと尺という二つのものさしで残されています。
史跡としての指定面積は28264.19平方メートル。1921年(大正10年)3月3日の指定から百年を超え、2025年(令和7年)9月18日に範囲が追加されました。
墳丘規模(全長):238メートル
全国での順位:第18位(238メートル)
封土ノ長軸(文化庁の解説文):六百八十四尺
後圓部ノ直徑・前方部幅(同):三百四十八尺・三百六十九尺
史跡の指定面積:28264.19 m2
室宮山古墳はいつ作られたか
築造年代を一言で示した公式ページは、確認できませんでした。文化庁の国指定文化財等データベースは、時代・年代・西暦の欄をいずれも空欄としています。
奈良文化財研究所が公開する調査の抄録には、御所市による発掘の記録が収められ、主な時代として「古墳前期前葉」が挙げられています。この調査は、張出部が築造当初からの二段築成であることを再確認し、張出部の伸びる方向を確定したものです。
いっぽう、この古墳は葛城地方で古墳時代中期に突然あらわれる大型墳として語られることが多く、5世紀初頭ごろとする見方が広く行われています。
室宮山古墳の場所と行き方(観光情報)
御所市には、この古墳のほかに巨勢山古墳群があり、二つはひとつの保存活用計画にまとめられています。葛城の一帯は、5世紀に入って急に古墳が増える土地です。
奈良県内では、堺市の一覧に桜井茶臼山古墳(207メートル)、メスリ山古墳(250メートル)などが並びます。室宮山古墳は、それらと肩を並べる大きさです。
室宮山古墳(史跡 宮山古墳)
室宮山古墳(史跡 宮山古墳)の住所:奈良県御所市室(文化庁の所在地(市区町村)の欄。番地までは確認できませんでした)
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:国の史跡であり、宮内庁の陵墓ではありません。ただし墳丘に登れるかどうかを記した公式の案内は確認できませんでした
文化庁は所在地(市区町村)を御所市室とし、堺市の全国一覧も所在地を奈良県御所市室としています。番地までの住所、行き方、駐車場、料金を記した公式ページは確認できませんでした。
御所市教育委員会は『史跡宮山古墳・史跡巨勢山古墳群保存活用計画』を公開しています。墳丘の東北の麓には、濠を利用した貯水池があると文化庁の解説文にあります。
室宮山古墳の発見と調査の歩み
メートルと尺、二つのものさし
この古墳の大きさは、二つの単位で記録されています。堺市の全国の古墳大きさランキングは墳丘規模238メートル、第18位。いっぽう文化庁の解説文は「封土ノ長軸六百八十四尺後圓部ノ直徑三百四十八尺高サ八十八尺」と、尺で書かれています。
大正10年に指定されたときの文章が、そのまま残っているためです。奈良市の鶯塚古墳の解説文も同じ形です。
書き換えないのには理由があります。指定のときに何をどう認めたのかという記録は、あとから測り直した数字とは別に、そのまま残しておく必要があるからです。
大王の棺が、二つ
後円部には竪穴式石室が二基、墳丘の中軸線を挟んで南北に平行して並びます。南の石室は1950年(昭和25年)に盗掘を受け、そのときの緊急調査で中身が知られました。
納められていたのは、竜山石を組み合わせた長持形石棺でした。全面に朱が塗られ、蓋石には格子の亀甲文があり、縄掛突起を四面に二つずつもちます。長持形石棺は「王者の石棺」とも呼ばれ、大王級の墓に限られる棺です。
北の石室は掘られていませんが、1998年(平成10年)の台風で木が倒れたときに根の跡から様子が知れ、こちらにも竜山石の長持形石棺が納められていることがわかりました。
兵庫から運ばれた石
石棺の石は、地元の石ではありません。兵庫県は、高砂市周辺で採れる竜山石について、これまで流紋岩質溶結凝灰岩とされてきたが、近年の調べで水中に噴出したマグマが急速に冷えてできたハイアロクラスタイトであることが判明した、と説明しています。
兵庫県はまた、竜山石は古代には石棺に多く使われ、江戸時代の慶長年間ごろからは城の石垣や土台石として各地に出荷された、としています。古代の棺の石が、そのまま近世の城の石になりました。
奈良県の内陸にあるこの古墳に、兵庫県の石を運び込む。それだけの力を、葬られた人はもっていたことになります。
室宮山古墳から出土したもの
南の石室からは、盗掘を受けたのちの調査で玉類・琴柱形石製品・刀剣・革綴短甲の残片・鏡の破片が確かめられました。北の石室では、朝鮮半島南部産の陶質土器が四点以上見つかっています。
とりわけ船形の陶質土器は、ほかに例のない副葬品として知られます。出土した埴輪の一部と埴輪列の復元模型は、橿原考古学研究所附属博物館に展示されているといわれます。
長持形石棺
竜山石を組み合わせた棺。全面に朱が塗られ、いまも石室に納めたまま保存されている。
武器形埴輪の列
甲冑形・靫形・盾形など。石室の周囲に長方形に巡らされ、被葬者を守る形に並ぶ。
大型家形埴輪
石室の南側に置かれていた。近くの豪族の建物跡と柱の形が一致すると注目される。
船形の陶質土器
北の石室から出た、朝鮮半島産とみられる土器。日本の須恵器と色が異なる。
室宮山古墳と関連する古墳
室宮山古墳についてよくある質問
室宮山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。葛城襲津彦とみる説が近年は有力とされますが、明確な根拠は知られていません。武内宿禰の墓とする古い説もあります。宮内庁の治定は受けていません。
室宮山古墳はどこにありますか。
奈良県御所市室です。文化庁の所在地の欄も堺市の全国一覧も、そう記しています。番地までの住所や行き方は、公式に確認できませんでした。
室宮山古墳の大きさはどれくらいですか。
堺市は墳丘規模238メートル、全国第18位としています。文化庁の解説文は尺で書かれ、封土ノ長軸六百八十四尺などと記します。
室宮山古墳はいつ作られましたか。
築造年代を一言で示した公式ページは確認できませんでした。文化庁の時代欄は空欄で、御所市の調査の抄録には主な時代として古墳前期前葉が挙げられています。
室宮山古墳の墳丘に登れますか。
墳丘に登れるかどうかを記した公式の案内は確認できませんでした。国の史跡であり宮内庁の陵墓ではなく、後円部には社が建っています。
室宮山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
長持形石棺(ながもちがたせっかん)
板石を組み合わせた箱形の棺。大王級の墓に限られ、王者の石棺とも呼ばれる。
竜山石(たつやまいし)
兵庫県高砂市周辺で採れる石。古代には石棺に、近世には城の石垣に使われた。
陪塚(ばいちょう)
大きな古墳のそばに寄り添うように築かれた小さな古墳。室宮山古墳にも伴う。
張出部(はりだしぶ)
墳丘の側面から外へ張り出した部分。室宮山古墳では埋葬施設が設けられている。
室宮山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。