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奈良県

都塚古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

都塚古墳  / ミヤコヅカコフン

方墳 6世紀7世紀

階段状に石を積み上げた、類例のない多段築成の大型方墳。

都塚古墳とはどんな古墳か

奈良県高市郡明日香村にある大型の方墳です。文化庁は、6世紀後半から7世紀初頭に飛鳥地域に造られた大型方墳とし、規模を東西約41メートル・南北約42メートル、高さ4.5メートル以上、史跡の面積を3528.0平方メートル、指定年月日を2017年10月13日としています。

この古墳の名が広く知られるようになったのは、2013年から2014年の調査で、墳丘の表面が階段状に積み上げられているとわかったためです。文化庁はこれを「類例のない階段状の多段築」と表現しています。

埋葬施設は南西に開く両袖式の横穴式石室で、玄室の中央に刳抜式の家形石棺が据えられています。石舞台古墳の南南東およそ400メートルという位置にあり、二つの古墳の石室は同じ方向に開口しています。

都塚古墳の読み方と別名

読みは「みやこづかこふん」です。文化庁のデータベースも、ふりがなを「みやこづかこふん」としています。「みやこ」であって「とづか」ではありません。

別称として金鳥塚が知られていますが、その由来をたどれる公式の記載は確かめられませんでした。

2014年の調査のあと、報道で「階段ピラミッド」という言い方が広まりました。これは正式な名ではなく、墳丘の見た目を言いあらわした呼び方です。文化庁が用いているのは「類例のない階段状の多段築」という表現です。

都塚古墳(みやこづかこふん)

文化庁のデータベースが用いるふりがなは「みやこづかこふん」。

金鳥塚(きんちょうづか)

土地に伝わる別称。元日の朝に金の鶏が鳴くという言い伝えにちなむとされるが、由来は確かめられていない。

階段ピラミッドの古墳(かいだんぴらみっどのこふん)

2014年の調査以降に広まった呼び方。正式な名ではなく、墳丘の姿を言いあらわしたもの。

都塚古墳は誰の墓か

この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。文化庁の解説文も、大型方墳としての価値を記すだけで、被葬者には触れていません。

よく知られているのは、蘇我稲目の墓と推定する説です。根拠は、一帯が飛鳥時代に蘇我氏の勢力範囲だったとされること、石舞台古墳の南南東およそ400メートルという近さ、そして石舞台古墳よりやや古い時期に築かれたとみられることです。石舞台古墳の被葬者を蘇我馬子とみる説にしたがえば、その父にあたる稲目の墓と考えられる、という筋道です。

ただし、これはあくまで説であって、確かめられてはいません。石室は盗掘を受けており、副葬品のほとんどが失われているため、被葬者を直接示すものは残っていません。

この古墳は宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも入っていません。国の史跡として扱われているため調査ができ、そのおかげで階段状の墳丘という発見がありました。

断定できない:わかっていない

解説文は大型方墳としての価値を記すが、被葬者については触れていない。

陵墓ではなく、国の史跡として扱われている:宮内庁の治定は無い

平成29年6月16日の文化審議会答申により、史跡の新指定18件のひとつとして答申された。

都塚古墳の大きさと形

文化庁は、この古墳の規模を東西約41メートル、南北約42メートル、高さ4.5メートル以上としています。史跡としての指定面積は3528.0平方メートルです。

ほぼ正方形に近い大型の方墳です。飛鳥地域では、この時期に前方後円墳が造られなくなり、方墳が選ばれるようになります。その移り変わりのただ中に置かれた古墳、というのがこの一基の位置づけです。

墳丘の表面は階段状に積み石がなされ、各段の高さは0.3メートルから0.6メートル、それが四段以上あったとされます。石室は南西に開く両袖式の横穴式石室で、石室長はおよそ12メートルです。

墳丘の規模:東西約41メートル・南北約42メートル

墳丘の高さ:4.5メートル以上

史跡の面積:3528.0平方メートル

都塚古墳はいつ作られたか

文化庁は、この古墳を6世紀後半から7世紀初頭に飛鳥地域に造られた大型方墳としています。データベースの時代の欄も「古墳~飛鳥」となっています。

この時期は、前方後円墳が造られなくなり、方墳や円墳が選ばれるようになった移り変わりの時期にあたります。文化庁は、この古墳を古墳時代から飛鳥時代への移行期の古墳の実態を知るうえで重要であるとしています。

少しあとには、石舞台古墳のような一辺約55メートルの方墳が現れ、さらに7世紀後半には段ノ塚古墳牽牛子塚古墳のような八角墳が造られます。形が次々に変わっていく時代の、最初のほうに位置する古墳です。

都塚古墳の場所と行き方(観光情報)

明日香村には、石舞台古墳、高松塚古墳キトラ古墳、牽牛子塚古墳、中尾山古墳岩屋山古墳といった古墳が集まっています。都塚古墳は、そのうち石舞台古墳にいちばん近い一基です。

見学できる範囲や時間は古墳ごとに違います。都塚古墳については公式の記載を確かめられませんでしたので、出かける前に明日香村の案内をご確認ください。

都塚古墳

地図で開く

都塚古墳の住所:奈良県高市郡明日香村

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:宮内庁の陵墓ではなく国の史跡ですので、陵墓のような立ち入り禁止の扱いは受けていません。ただし、墳丘や石室に入れるかどうかについては、公式のページで確認できませんでした

文化庁のデータベースは、所在都道府県を奈良県、所在地(市区町村)を奈良県高市郡明日香村としています。番地までの記載はありません。

石舞台古墳の南南東およそ400メートルの尾根の上にあります。石舞台古墳を訪ねたついでに、少し坂をのぼれば着く距離です。行き方や見学できる範囲については公式のページで確かめられませんでしたので、明日香村の案内でご確認ください。

都塚古墳の発見と調査の歩み

  1. 階段状の墳丘という発見
  2. 石舞台古墳と、同じ方角を向く石室
  3. 盗掘のあとに残ったもの

階段状の墳丘という発見

2013年から2014年にかけて、明日香村教育委員会と関西大学が調査を行いました。そこで明らかになったのが、墳丘の表面が階段状に積み上げられているという事実です。

各段の高さは0.3メートルから0.6メートル、それが四段以上あったとされます。日本の古墳は、盛り土の斜面に葺石を貼るのがふつうですから、この造り方はきわめてめずらしいものです。

文化庁も、指定の理由に「類例のない階段状の多(た)段築(だんちく)をなす」と書き込みました。5世紀ごろの高句麗や百済に見られる階段状積石塚とのつながりを指摘する見方もあります。前方後円墳が終わり、次の形をさがしていた時期に、中国や朝鮮半島の積石塚を参考にして造られたのではないか、という説です。

石舞台古墳と、同じ方角を向く石室

都塚古墳の石室は、南西の方向に開いています。石舞台古墳の石室と同じ開口方向です。

二つの古墳の距離は、およそ400メートル。都塚古墳の石室は全長約12.2メートル、玄室は長さ5.3メートル・幅2.8メートル・高さ3.55メートルです。石舞台古墳の石室全長19.08メートルには及びませんが、当時としては十分に大きな石室です。

同じ谷筋に、同じ向きの石室をもつ大型の古墳が二基並んでいる。この位置関係から、二つを対になる墓とみる説や、都塚古墳を石舞台古墳の被葬者の父の墓とみる説が生まれました。石室の石材は、都塚古墳が石英閃緑岩、いわゆる飛鳥石です。

盗掘のあとに残ったもの

この古墳の石室は、古い時代に盗掘を受けています。副葬品のほとんどは散逸してしまいました。

それでも調査では、土師器、須恵器、瓦器のほか、刀子・鉄鏃・鉄釘・小札といった鉄製品が見つかっています。玄室の中央には二上山産の凝灰岩でできた刳抜式の家形石棺が残り、棺身は長さ2.23メートル、幅1.46メートル、高さ1.08メートル、総高1.72メートルを測ります。

石棺のほかに棺台があることから、木の棺があとから追葬されたとみられています。また墳丘と石室には、後世の地震によると見られる地割れや亀裂も認められています。千数百年のあいだに何が起きたかが、そのまま石に刻まれているということです。

都塚古墳から出土したもの

石室は盗掘を受けているため、副葬品のほとんどが失われています。それでも土師器・須恵器・瓦器のほか、刀子・鉄鏃・鉄釘・小札といった鉄製品が確認されています。

この古墳の価値は、副葬品よりも墳丘そのものにあります。階段状に積み上げられた墳丘という造りは、ほかに例がありません。文化庁が指定の理由に挙げたのも、副葬品ではなく、この築き方でした。

刳抜式家形石棺

二上山産の凝灰岩を刳りぬいて作った家の形の石棺。玄室の中央に据えられている。

鉄製品

刀子・鉄鏃・鉄釘・小札。盗掘をまぬがれて石室内に残っていた。

須恵器

高温で焼いた灰色のかたい土器。土師器とともに出土している。

瓦器

主な出土品のひとつ。石室が後世まで開いていたことを示す手がかりにもなる。

都塚古墳と関連する古墳

都塚古墳についてよくある質問

都塚古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。蘇我稲目の墓と推定する説がありますが、確かめられてはいません。文化庁の解説文も被葬者には触れておらず、宮内庁の陵墓でもありません。

都塚古墳はどこにありますか。

文化庁は所在地を奈良県高市郡明日香村としています。石舞台古墳の南南東およそ400メートルの尾根の上にあります。

都塚古墳の大きさはどれくらいですか。

文化庁は東西約41メートル、南北約42メートル、高さ4.5メートル以上としています。史跡としての指定面積は3528.0平方メートルです。

都塚古墳はいつ作られましたか。

文化庁は6世紀後半から7世紀初頭としています。前方後円墳が造られなくなり、方墳が選ばれるようになった移り変わりの時期にあたります。

都塚古墳はなぜ階段ピラミッドと呼ばれるのですか。

墳丘の表面が階段状に積み上げられているためです。各段は0.3メートルから0.6メートルで四段以上あり、文化庁は「類例のない階段状の多段築」と記しています。

都塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語

方墳(ほうふん)

上から見て四角い形の古墳。前方後円墳が造られなくなった6世紀末以降、有力者の墓に選ばれた。

両袖式横穴式石室(りょうそでしきよこあなしきせきしつ)

玄室の入口が左右どちらにも張り出す形の石室。追葬ができる。

刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)

一つの石を刳りぬいて作った、屋根のある家の形の棺。板石を組み合わせる組合式と区別される。

積石塚(つみいしづか)

盛り土ではなく石を積んで築いた墓。高句麗や百済に例があり、都塚古墳との関連が指摘される。

都塚古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁