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大分県

ダンワラ古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

ダンワラ古墳  / ダンワラコフン

古墳そのものは失われ、金と銀を象嵌した鉄鏡だけが残された謎の墳墓。

ダンワラ古墳とはどんな古墳か

大分県日田市にあったとされる古墳です。この古墳には、いま見に行ける墳丘がありません。鉄道の盛り土に使う土を採る工事の途中で石棺が掘り出され、その中から一面の鉄鏡が見つかった、という経緯だけが伝わっています。

その鏡が金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡です。文化庁の国指定文化財等データベースには「きんぎんさくがんしゅりょうもんてつきょう」の読みで登録され、時代は古墳、保管施設は東京国立博物館、所有者名は独立行政法人国立文化財機構とされています。

鉄の鏡に金で竜の文様を象嵌し、角や爪を銀で表し、目や体には赤や緑の玉をはめ込んだ、日本の古墳の出土品としては例のない鏡です。中央のつまみのあたりには漢代の書体で文字が刻まれています。

ただし、この鏡が本当にダンワラと呼ばれる場所の古墳から出たのかどうかも、確かめられていません。

ダンワラ古墳の読み方と別名

古墳の読みは「だんわらこふん」です。ダンワラは通称地名とされ、片仮名で書かれます。

鏡の名は長く、読みも一定していません。文化庁のふりがなは「きんぎんさくがんしゅりょうもんてつきょう」ですが、「しゅりゅうもんてっきょう」と読む例もあります。同じ一面の鏡に、二通りの読みが並んでいます。

「錯嵌」は、金銀や玉を溝に埋め込んで文様を作る技法のことです。錯が金銀の象嵌、嵌が玉のはめ込みにあたります。この鏡はその両方を使っているため、この長い名が付いています。

ダンワラ古墳(だんわらこふん)

出土地とされる通称「ダンワラ」から付けられた名。片仮名で書かれるのが通例。

金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりょうもんてつきょう)

文化庁に登録された鏡の名称。錯嵌は金銀や玉をはめ込む技法を指す。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)

「紋」を「文」と書く表記や、読みを「しゅりゅうもん」とする例もある。

ダンワラ古墳は誰の墓か

葬られた人が誰かは、わかっていません。それどころか、この鏡がどの古墳から出たのかさえ、確かめられていません。

発見は工事のさなかのことでした。石棺が出て、中から鉄鏡が見つかった。ところが、そのときは注目されず、価値が見いだされたのはおよそ30年後のことです。発見者の案内で現地調査が行われ、日田市日高町の通称ダンワラと呼ばれる場所から出たものと判断されました。

しかし、その古墳は工事のときにすでに壊されていました。30年という時間が空いたこともあり、ダンワラ古墳が実際の出土地であったかどうかは確かではないとされています。

下調べの範囲では、日田地方の豪族である日下部氏の古墳とする説もありますが、その被葬者や、これほど豪華な副葬品が納められた理由は明らかでないとされています。文化庁の解説文は「古墳時代の資料。」の一行だけで、被葬者についての記載はありません。

断定できない:わかっていない

重要文化財として登録されているのは鏡であって、古墳ではない。解説文は一行のみ。

ダンワラ古墳の大きさと形

墳形も規模も、公式には確認できませんでした。古墳が工事で壊されたあとに存在が知られたため、測ることができなかったからです。この図鑑では、形の欄と年代の欄を空けてあります。

文化庁のデータベースに登録されているのは鏡のほうで、そこには大きさの記載がありません。所在都道府県の欄は東京都です。これは鏡が東京国立博物館にあるためで、古墳があったとされる場所は大分県です。欄の意味を取り違えないように注意がいります。

下調べでは、鏡は直径21.1センチメートル、厚さ2.5ミリメートルの反りのない鏡で、背面の装飾はおよそ3分の1が残っているとされます。ただし、これらの数字を裏づける公式ページは確かめられませんでした。

文化財としての名称:金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡

時代:古墳

保管施設:東京国立博物館

墳丘の規模と墳形:公式には確認できませんでした

ダンワラ古墳はいつ作られたか

文化庁のデータベースは、鏡の時代を「古墳」とだけ記し、年代・西暦の欄は空欄です。古墳そのものがいつ築かれたかについては、公式にも下調べにも記載が見あたりませんでした。

ややこしいのは、鏡の作られた時期と、墓が造られた時期が違うことです。この鏡は漢代のものと考えられています。中国で作られた鏡が海を渡り、何代か伝わったのちに日本の古墳に納められた、という筋道が想定されます。

江田船山古墳の大刀のように、出土品から年代を読む方法はあります。しかしこの古墳では、墳丘も石棺も失われ、ほかの副葬品の出土状況もはっきりしません。年代を決める材料そのものが残っていません。この図鑑では、年代の欄を空けています。

ダンワラ古墳の場所と行き方(観光情報)

この古墳の情報で、いちばん取り違えやすいのが所在地の欄です。文化庁のデータベースで所在都道府県が東京都となっているのは、登録されているのが鏡であり、その鏡が東京国立博物館にあるためです。

古墳があったとされるのは大分県です。文化財のデータベースでは、ものの所在地と遺跡の所在地が別々に扱われます。この図鑑では、古墳の県として大分県を採っています。

ダンワラ古墳

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ダンワラ古墳の住所:公式には確認できませんでした(文化庁が示すのは鏡の所在都道府県である東京都のみ)

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:古墳そのものが工事によって失われており、立ち入れる墳丘はありません。宮内庁の陵墓ではありません

行っても、古墳はありません。下調べでは大分県日田市日高町の通称ダンワラと呼ばれる場所とされますが、公式ページでは確かめられませんでした。

確かめられるのは鏡の居場所だけです。文化庁は保管施設を東京国立博物館、所有者名を独立行政法人国立文化財機構としています。この鏡を見たい場合は、日田ではなく博物館をたずねることになります。

ダンワラ古墳の発見と調査の歩み

  1. 30年後に見いだされた鏡
  2. 金と銀と玉で飾られた鉄の鏡
  3. なぜ記録がここまで少ないのか

30年後に見いだされた鏡

鉄鏡が石棺から出たとき、それが何であるかを見抜いた人はいませんでした。鉄の鏡は錆びます。銅鏡のように光を返すこともなく、掘り出された直後の姿は、腐蝕した鉄の円板だったはずです。

価値が見いだされたのは、およそ30年後のことでした。研究者が注目し、発見者の案内で現地調査が行われて、はじめてこの鏡が特別なものだとわかりました。

しかしそのときには、古墳はもうありませんでした。工事で壊されたあとで、石棺がどこにあったのか、ほかに何が納められていたのか、確かめる手立てが残っていませんでした。発見者の記憶によれば、石棺からは鉄鏡とともに鉄刀と轡が出たといい、近辺からは管玉・切子玉・ガラス小玉なども出たといいます。記憶に頼るしかない、というのがこの古墳の記録です。

金と銀と玉で飾られた鉄の鏡

この鏡の値打ちは、その作りにあります。鉄の地に金で竜の文様を象嵌し、角や爪を銀で表し、目や体のところどころに赤や緑の玉をはめ込んでいます。

中心のつまみのあたりには、漢代の書体で「長宜子孫」の4文字が金で刻まれていると伝えられます。子孫が長く栄えるように、という意味の吉祥句です。日本の古墳から出た鏡の中で、これほど手のこんだ鉄鏡はほかにありません。

古墳の副葬品としての鏡といえば、ふつうは銅鏡です。黒塚古墳の三角縁神獣鏡も、和泉黄金塚古墳の画文帯神獣鏡も銅の鏡でした。なぜこの鏡が地方の古墳にあったのかが、問われ続けています。

なぜ記録がここまで少ないのか

この古墳について書けることが少ないのには、はっきりした理由があります。

第一に、発見が工事の副産物だったことです。調査として掘ったのではなく、土を採っていたら石棺が出た。記録を取る体制がありませんでした。第二に、価値が認められるまで30年かかったことです。その間に古墳は失われ、出土品の一部は散り、証言も薄れました。

掘る前に記録を取る、という手順を踏めなかった古墳は、こうなります。同じ大分県には、調査を経て内容がわかっている古墳もあります。しかしダンワラ古墳では、墳形も規模も年代も被葬者も、すべて空欄のままです。

残ったのは鏡一面だけです。

ダンワラ古墳から出土したもの

文化庁が登録しているのは金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡の一点だけです。保管施設は東京国立博物館、所有者名は独立行政法人国立文化財機構。解説文は「古墳時代の資料。」の一行です。

そのほかの出土品は、発見者の証言として伝わるだけで、実際に同じ石棺から出たものかどうかは確かめられていません。管玉・切子玉・ガラス小玉が近辺から出たともいわれますが、公式ページでは確認できませんでした。

金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡

国の重要文化財。金で竜を象嵌し、銀で角と爪を表し、赤や緑の玉をはめ込んだ鉄の鏡。

石棺

鏡が納められていた棺。工事の際に掘り出されたが、その後の所在は確かめられていない。

鉄刀と轡

発見者の証言によれば、石棺から鏡と同時に出たという。轡は馬の口にはめる馬具。

金錯鉄帯鉤

金を象嵌した帯の金具。日田市から出たもので、一説には同じ古墳の出土ともいわれる。

ダンワラ古墳と関連する古墳

ダンワラ古墳についてよくある質問

ダンワラ古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。日田地方の豪族である日下部氏の古墳とする説もありますが、被葬者も、豪華な副葬品が納められた理由も明らかでないとされています。宮内庁の陵墓ではありません。

ダンワラ古墳はどこにありますか。

大分県日田市にあったとされますが、詳しい所在地は公式には確認できませんでした。古墳自体が工事で失われており、見に行ける墳丘はありません。

ダンワラ古墳の大きさはどれくらいですか。

公式には確認できませんでした。古墳が壊されたあとに存在が知られたため、墳形も規模も測られていません。この図鑑では形の欄と年代の欄を空けています。

ダンワラ古墳はいつ作られましたか。

わかっていません。文化庁は鏡の時代を「古墳」とのみ記しています。鏡そのものは漢代のものと考えられており、作られた時期と墓に納められた時期は別だと考える必要があります。

金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡はどこで見られますか。

文化庁は保管施設を東京国立博物館、所有者名を独立行政法人国立文化財機構としています。国の重要文化財です。

ダンワラ古墳と併せて覚えたい言葉・用語

象嵌(ぞうがん)

地の金属に溝を彫り、そこへ別の金属をはめ込んで文様を作る技法。金や銀が使われる。

錯嵌(さくがん)

金銀の象嵌と、玉をはめ込む細工を合わせた言い方。この鏡の名の由来になっている。

重要文化財(じゅうようぶんかざい)

国が指定した文化財。古墳では、墳丘が史跡、出土品が重要文化財と別々に扱われることがある。

(くつわ)

馬の口にはめて手綱をつなぐ馬具。日本の古墳では5世紀以降に副葬されるようになる。

ダンワラ古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁