藤原鎌足の墓とする説で知られる、盛り土を持たない終末期の古墳。
阿武山古墳とはどんな古墳か
大阪府の高槻市と茨木市にまたがる、阿武山の中腹にある古墳です。文化庁は所在地を高槻市奈佐原・茨木市安威とし、昭和58年8月30日に国の史跡へ指定したとしています。高槻市は、標高約210メートルの尾根の上にあると書いています。
この古墳には、ふつうの古墳にある盛り土がありません。高槻市は、尾根の小高いところに幅2.5メートルの浅い溝を円形にめぐらせ、直径82メートルの墓域を区画していると説明しています。中央には花崗岩の切石と厚い素焼きのタイルを組み上げ、内側をしっくいで仕上げた墓室がありました。
その墓室に、漆で麻布を何枚も貼り固めた夾紵棺が安置されていました。昭和9年、京都大学の地震観測施設を建てる工事のさなかに、まったく偶然に見つかったものです。
阿武山古墳の読み方と別名
読みは「あぶやまこふん」です。「あぶさん」ではありません。文化庁のデータベースにも「あぶやまこふん」とふりがなが振られています。
名は、古墳がのっている阿武山という山から来ています。古墳の名の多くは、このように地名や山の名から付けられており、葬られた人の名とは関係がありません。いたすけ古墳やニサンザイ古墳と同じで、名前から被葬者はわかりません。
被葬者を藤原鎌足とみる説が有名なため「鎌足の墓」と呼ばれることがありますが、公式の名称ではありません。
阿武山古墳(あぶやまこふん)
文化庁の国指定文化財等データベースが記すふりがなも「あぶやまこふん」で、これが正式な読み。
史跡阿武山古墳(しせきあぶやまこふん)
高槻市が用いる呼び方。市のページでは名称の欄に「史跡 あぶやま こふん」と分けて書かれている。
阿武山(あぶやま)
古墳がのる山の名。古墳の名は山の名から来ており、被葬者の名に由来するものではない。
阿武山古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、確かめられていません。
墓室の中には、60歳前後の男性の遺骨が、肉や毛髪、衣装まで残った状態でありました。鏡や剣は副葬されておらず、ガラス玉を編んだ玉枕と、胸から頭にかけて散らばる金の糸が見つかっています。
発見からまもなく埋め戻されましたが、そのときに撮られたエックス線写真の原板が昭和57年に見つかり、分析が進みました。腰の骨を折る大けがをして寝たきりのまま亡くなったこと、金の糸が冠の刺繍だったことがわかり、落馬の後に没したと伝えられる藤原鎌足に重ねる見方が強まりました。
ただし、これは学説です。蘇我倉山田石川麻呂や阿倍倉梯麻呂に当てる説もあります。宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも入っておらず、国の史跡として扱われています。
学術的な見方のひとつ:藤原鎌足
柏原市は夾紵棺の解説の中で「阿武山古墳は藤原鎌足墓と推定されています」と書いている。
断定できない:わかっていない
高槻市のページは墓域と墓室、夾紵棺の記述にとどまり、被葬者にはふれていない。
宮内庁の治定は無い:治定はされていない
陵墓ではなく史跡として指定されている。指定年月日は1983年8月30日。
阿武山古墳の大きさと形
高槻市は、この古墳に盛土がないことをはっきり書いています。尾根の小高いところに幅2.5メートルの浅い溝を円形にめぐらせ、直径82メートルの墓域を区画しているという形です。
つまり、外から見て高くそびえる墳丘がありません。大仙陵古墳や誉田御廟山古墳のような、土を高く積み上げる古墳とは考え方がまるで違います。7世紀に薄葬の考えが広まり、墓を小さく簡素にする流れが生まれた、その先にある姿です。
墓室は花崗岩の切石と厚い素焼きのタイルを組み上げ、内側をしっくいで仕上げたものでした。墓室の各部の寸法は、公式のページでは確認できませんでした。
墓域の直径:直径82メートル
墓域を区画する溝の幅:幅2.5メートル
墳丘のある位置:阿武山の中腹・標高約210メートルの尾根上
盛土:盛土がない
国の史跡に指定された日:1983.08.30(昭和58.08.30)
阿武山古墳はいつ作られたか
阿武山古墳の場所と行き方(観光情報)
阿武山は、京都大学の地震観測所が置かれた山です。古墳が見つかったのも、その施設を建てる工事のときでした。
茨木市の東奈良遺跡では、この古墳の塼とよく似た塼が見つかっており、鎌足が隠居したという三島の別邸との関わりが語られています。
阿武山古墳
阿武山古墳の住所:高槻市大字奈佐原
交通:JR摂津富田駅から、高槻市営バス行きで、「消防署前」下車。徒歩約30分(約2キロメートル、坂道)。(高槻市)
駐車場:駐車場はありません。公共交通機関をご利用ください。(高槻市)
料金:公式には確認できませんでした
内部見学:宮内庁の陵墓ではなく国の史跡です。高槻市はバス停からの行き方を案内していますが、墳丘へ立ち入れるかどうかの明記は公式には確認できませんでした。墓室は調査の後に埋め戻されており、中を見ることはできません。
高槻市が書く所在地は高槻市大字奈佐原です。いっぽう文化庁のデータベースは、高槻市奈佐原・茨木市安威と、二つの市にまたがるものとしています。山の中腹にあるためです。
高槻市は「駐車場はありません。公共交通機関をご利用ください」とはっきり書いています。バス停から徒歩約30分、しかも坂道です。
阿武山古墳の発見と調査の歩み
地震観測所の地下から出てきた墓
高槻市は、この古墳が「昭和9年、京都大学の地震観測施設建設のさいに偶然発見されました」と書いています。地面を掘っていたら、地表のすぐ下から切石で組まれた墓室が現れたのです。
中には、漆で麻布を何枚も貼り固めた夾紵棺が安置されていました。棺の中の遺体は、肉も毛髪も衣装も残っていました。ガラス玉を編んだ玉枕が敷かれ、金の糸が胸から頭にかけて散らばっていました。
新聞が報じると、見物人が押し寄せました。高い身分の人物であることは明らかで、これ以上の調査は冒涜だという意見が出て、墓は埋め戻されることになりました。学術的な調査が十分に行われないまま、古墳は閉じられました。
エックス線写真が半世紀後に語ったこと
埋め戻す前に、地震観測所が遺骨をエックス線で撮影していました。その原板が昭和57年に見つかります。
分析の結果、被葬者は腰の骨などを折る大けがをし、しばらく生きていたものの、寝たきりのまま合併症で亡くなったことがわかりました。また、金の糸の散らばり方から、それが冠の刺繍の糸だったこともわかりました。
落馬の後に世を去ったと伝えられる藤原鎌足の死に方と重なります。冠が当時の最高位のものだとすれば、それを授けられた人物はごく限られます。写真という、当時は補助にすぎなかった記録が、半世紀を越えて主役になりました。ただし、これで被葬者が確定したわけではありません。
夾紵棺という、めったに使われない棺
夾紵棺とは、木や土を原型にして布をあて、漆を塗りながら布を貼り重ねて造る棺です。柏原市は、乾漆棺ともいい、限られた終末期古墳にみられるもので、かなり高貴な人物の棺に用いられたと説明しています。
柏原市によれば、夾紵棺はこれまでに全国で7基の古墳から出土が報告され、そのうち確実なのは牽牛子塚古墳とこの阿武山古墳だけです。どちらも麻布を使っています。
柏原市は「夾紵棺を使用できる人物は天皇クラスに限られていたことになります」と書いています。聖徳太子の墓とされる叡福寺北古墳でも、棺台のまわりに夾紵棺の破片が散らばっているのが確かめられています。
阿武山古墳から出土したもの
鏡や剣、玉といった、古墳につきものの副葬品はありませんでした。代わりにあったのは、棺そのものと、遺体が身につけていたものです。
7世紀の墓は、ものを多く納めません。何を入れたかではなく、どんな棺に納めたかで身分が示されました。
夾紵棺
漆で麻布を何枚も貼り固めて造った棺。高槻市が墓室に安置されていたとしている。
玉枕
ガラス玉を編んで作られた枕。遺体の頭の下に敷かれていた。
金の糸
胸から顔面、頭にかけて散らばっていた。冠の刺繍の糸と考えられている。
人骨
60歳前後の男性。肉や毛髪、衣装も残っていた。埋め戻され、現在は見られない。
阿武山古墳と関連する古墳
阿武山古墳についてよくある質問
阿武山古墳は誰の墓ですか。
確かめられていません。柏原市は藤原鎌足墓と推定されていると書いていますが、これは学説です。蘇我倉山田石川麻呂などに当てる説もあり、宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも入っていません。
阿武山古墳はどこにありますか。
高槻市は所在地を高槻市大字奈佐原としています。文化庁は高槻市奈佐原・茨木市安威と、二つの市にまたがるものとしています。阿武山の中腹、標高約210メートルの尾根の上です。
阿武山古墳の大きさはどれくらいですか。
高槻市は、幅2.5メートルの浅い溝を円形にめぐらせて直径82メートルの墓域を区画しているとしています。盛土がないため、高くそびえる墳丘はありません。
阿武山古墳はいつ作られましたか。
高槻市は時代を古墳時代終末期としています。前方後円墳が造られなくなり、墓が小さく簡素になっていった7世紀ごろにあたります。
阿武山古墳の中に入れますか。
墓室は調査の後に埋め戻されており、中を見ることはできません。高槻市はJR摂津富田駅からのバスと徒歩約30分の行き方を案内していますが、駐車場はないと明記しています。
阿武山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
夾紵棺(きょうちょかん)
木や土を原型に、布をあてて漆を塗り重ねて造った棺。乾漆棺ともいい、終末期の限られた古墳にしかない。
終末期古墳(しゅうまつきこふん)
古墳時代の終わりごろ、7世紀を中心に造られた古墳。前方後円墳が姿を消し、小さく簡素になる。
玉枕(たままくら)
ガラス玉などを編んで作り、遺体の頭の下に敷いた枕。高い身分の墓で見つかる。
国の史跡(くにのしせき)
国が歴史上重要と認めて指定した土地。陵墓とは別の枠組みで、調査ができる。
阿武山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。