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岡山県

こうもり塚古墳とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

こうもり塚古墳  / コウモリヅカコフン

前方後円墳 6世紀

石舞台古墳に匹敵する巨大な横穴式石室をもつ前方後円墳。

こうもり塚古墳とはどんな古墳か

こうもり塚古墳はひとことで言えば石室の大きさで知られる古墳です。岡山県総社市上林にあり、備中国分寺跡と備中国分尼寺跡の中間に築かれています。

文化庁はこう書いています。

備中国分寺跡と同国分尼寺跡の中間にある全長約90メートルの前方後円墳。後円部にある横穴式石室は、巨石をもちいた全長18.6メートルにも及ぶ巨大なもので、内部に家形石棺が安置されている

岡山県は全長を100メートルとし、6世紀後半につくられた前方後円墳で「奈良県の石舞台古墳の石室に匹敵する大きさです」としています。全長90メートルと100メートル。公式の資料のあいだで数字が違います。

こうもり塚古墳の読み方と別名

読みは「こうもりづかこふん」です。文化庁の登録でも「ふりがな こうもりづかこふん」と示されています。

かつては「黒媛塚」とも呼ばれました。ただし、この呼び名は年代が合いません。築造は6世紀後半とされるのに対し、伝承の相手は4世紀とされる人物だからです。名前が先にあって、あとから年代がわかったという順序です。

同じ岡山県には、読みが同じ「つくりやま」の古墳が二つあります。造山古墳作山古墳です。吉備の古墳は名前で取り違えやすいので、必ず所在地と合わせて確かめてください。

こうもり塚古墳(こうもりづかこふん)

文化庁と岡山県が用いる名。「こうもり」の部分がひらがなで書かれる。

黒媛塚(くろひめづか)

旧称。吉備の黒媛の墓とする伝承にもとづくが、築造年代と合わない。

浪形石(なみがたいし)

石棺に使われた石。岡山県は「浪形石(なみがたいし)製の家型石棺」としている。

こうもり塚古墳は誰の墓か

こうもり塚古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定もありません。国の史跡として扱われています。

かつては「黒媛塚」と呼ばれ、吉備の女性の墓とする伝承がありました。しかし、伝承の相手とされる人物の時代と、この古墳の築造年代は合いません。岡山県はこの古墳を6世紀後半としています。

わかっているのは、石室の中に家形石棺が安置されていることです。岡山県は、その石棺が浪形石でつくられたものだとしています。倉敷市は、同じ種類の石棺について次のように書いています。

同種の石棺を有する古墳は,総社市・こうもり塚古墳や岡山市・牟佐大塚古墳など県下で数例しか知られておらず,しかも有力な古墳に限られています

県内で数例だけ、しかも有力な古墳に限られる。この石棺を用意できた人物であることまでは言えます。名は、資料が出ていません。

公式の説明:わかっていない

石室と家形石棺の存在を記すのみで、人物を比定する記載はない。

学術的な見方のひとつ:有力な古墳の被葬者

同種の石棺をもつ古墳は県下で数例しかなく、有力な古墳に限られるとする。

こうもり塚古墳の大きさと形

文化庁は全長を約90メートルとし、後円部にある横穴式石室を「巨石をもちいた全長18.6メートルにも及ぶ巨大なもの」としています。

一方、岡山県は「6世紀後半につくられた全長100メートルの巨大な横穴式石室をもつ前方後円墳」としています。約90メートルと100メートル。10メートルの差があります。どちらも公式の記載です。

史跡としての指定面積は13563.0平方メートルです。指定は1968年(昭和43年)2月15日で、2024年(令和6年)10月11日に追加指定が行われています。

全長(文化庁):約90メートル

全長(岡山県):100メートル

横穴式石室の全長:18.6メートル

史跡の指定面積:13563.0平方メートル

国の史跡への指定:1968年(昭和43年)2月15日

追加指定:2024年(令和6年)10月11日

こうもり塚古墳はいつ作られたか

岡山県は「6世紀後半につくられた全長100メートルの巨大な横穴式石室をもつ前方後円墳」としています。

6世紀の後半は、前方後円墳が終わりに近づく時期です。同じ吉備では、5世紀前半に造山古墳、5世紀中ごろに作山古墳が築かれました。その百年あまりのちに、こうもり塚古墳が築かれています。

墳丘の長さは、造山古墳の360メートル、作山古墳の約282メートルから、100メートルへと大きく縮んでいます。そのかわり、石室が巨大になりました。全長18.6メートル。

墳丘を大きくするのではなく、石室を大きくする。6世紀後半の古墳は、力の見せ方が変わっています。

こうもり塚古墳の場所と行き方(観光情報)

こうもり塚古墳は、備中国分寺跡と備中国分尼寺跡の中間にあります。三つをまとめて歩けます。

岡山県は、吉備路自転車道が整備されており、レンタサイクルで風景を楽しめるとしています。この自転車道は総社市スポーツセンターから岡山市の岡山県総合グラウンドまで約21キロメートルあり、日本の道100選に選ばれています。同じ道の途中に、造山古墳と作山古墳もあります。

こうもり塚古墳

地図で開く

こうもり塚古墳の住所:総社市上林

交通:公式に確認できませんでした

駐車場:公式に確認できませんでした

料金:公式に確認できませんでした

内部見学:石室の中に入って、浪形石製の家形石棺を見ることができる(岡山県)

文化庁は所在地を総社市上林としています。備中国分寺跡と備中国分尼寺跡の中間にあたります。

岡山県は「石室内では浪形石(なみがたいし)製の家型石棺を見ることができます」としています。石室の中まで入れる古墳です。

最寄りの駅、バス、駐車場、見学できる時間、料金については、公式の記載を確かめられませんでした。古墳の周辺は岡山県が管理する吉備路風土記の丘県立自然公園です。

こうもり塚古墳の発見と調査の歩み

  1. 石舞台に匹敵する石室が、吉備にある
  2. 浪形石の石棺は、県内に数例しかない
  3. 国分寺と国分尼寺のあいだに残った

石舞台に匹敵する石室が、吉備にある

奈良県明日香村の石舞台古墳は、天井石がむき出しになった巨大な横穴式石室で知られます。日本で最もよく知られた石室のひとつです。

岡山県は、こうもり塚古墳の石室について「奈良県の石舞台古墳の石室に匹敵する大きさです」と書いています。

文化庁は数字を示しています。

後円部にある横穴式石室は、巨石をもちいた全長18.6メートルにも及ぶ巨大なもので、内部に家形石棺が安置されている

全長18.6メートル。大人が二十歩以上歩ける長さの石の部屋が、後円部の中にあります。

しかも、この石室は入って見られます。岡山県は、石室内で浪形石製の家型石棺を見ることができるとしています。巨石を組み上げる技術が、6世紀後半の吉備にありました。

浪形石の石棺は、県内に数例しかない

石室に納められた家形石棺は、浪形石(なみがたいし)でつくられています。岡山県はそう記しています。

この石について、倉敷市が別の古墳の説明のなかで詳しく書いています。王墓山古墳の石棺は7枚の石を組み合わせた家形石棺で、石材には井原市波形で産出する貝殻石灰岩を用いている、と。

そして、こう続けます。

同種の石棺を有する古墳は,総社市・こうもり塚古墳や岡山市・牟佐大塚古墳など県下で数例しか知られておらず,しかも有力な古墳に限られています

貝殻石灰岩。貝の殻が固まってできた石です。井原市の波形という土地でとれます。

その石を運び、棺に刳り抜ける立場の人だけが、この石棺を持てました。石の産地から古墳までの距離と、石を切り出す手間を考えれば、石棺そのものが身分を示す品だったことになります。

国分寺と国分尼寺のあいだに残った

こうもり塚古墳が建つのは、備中国分寺跡と備中国分尼寺跡の中間です。文化庁はそう書いています。

国分寺は、聖武天皇の発願によって全国に建てられた寺です。岡山県によれば、境内の五重塔は県内で唯一のもので、弘化元年(1844)頃に完成し、34.32メートルの高さがあります。備中国分尼寺跡は、推定で東西約108メートル、南北約216メートルの寺域をもちます。

古墳が築かれた6世紀後半から、寺が建った8世紀まで、およそ二百年。同じ土地に、別の時代の大きな建造物が重なっています。いまは三つとも国の史跡です。

こうもり塚古墳から出土したもの

文化庁の登録では、2024年(令和6年)10月11日に追加指定が行われています。史跡としての範囲が広がりました。

副葬品の一覧は、公式のページで確かめられませんでした。公表されているのは、石室と家形石棺の存在までです。現地の説明板は1986年8月に設置されています。

家形石棺

石室内に安置されている。浪形石(貝殻石灰岩)でつくられ、県内では数例しか知られていない。

横穴式石室

巨石を用いた全長18.6メートルの石室。後円部にあり、中まで入って見られる。

出土品

こうもり塚古墳出土品として、2024年に総社市の指定を受けている。

副葬品の内訳

文化庁と岡山県のページには一覧の記載がなく、品目ごとの数は確かめられなかった。

こうもり塚古墳と関連する古墳

こうもり塚古墳についてよくある質問

こうもり塚古墳は誰の墓ですか。

わかっていません。宮内庁の治定もありません。かつて黒媛塚と呼ばれた伝承がありますが、伝承の相手とされる人物の時代と築造年代が合いません。

こうもり塚古墳の大きさはどれくらいですか。

文化庁は全長約90メートル、岡山県は全長100メートルとしており、数字が違います。後円部の横穴式石室は全長18.6メートルです。

こうもり塚古墳はどこにありますか。

岡山県総社市上林です。備中国分寺跡と備中国分尼寺跡の中間にあたり、周辺は吉備路風土記の丘県立自然公園として整備されています。

こうもり塚古墳はいつ作られましたか。

岡山県は6世紀後半としています。同じ吉備の造山古墳(5世紀前半)、作山古墳(5世紀中ごろ)よりあとの時代にあたります。

こうもり塚古墳の石室に入れますか。

岡山県は、石室内で浪形石製の家型石棺を見ることができるとしています。ただし見学できる時間や駐車場についての公式の記載は確かめられませんでした。

こうもり塚古墳と併せて覚えたい言葉・用語

横穴式石室(よこあなしきせきしつ)

横から入れる通路と部屋からなる埋葬施設。こうもり塚古墳のものは全長18.6メートル。

浪形石(なみがたいし)

井原市波形でとれる貝殻石灰岩。石棺の材料として使われた。

家形石棺(いえがたせっかん)

屋根の形をした蓋をもつ石の棺。石室の中に据えられる。

備中国分寺跡(びっちゅうこくぶんじあと)

聖武天皇の発願で建てられた国分寺のひとつの跡。この古墳のすぐそばにある。

こうもり塚古墳の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 文化庁
  2. 倉敷市
  3. 岡山県