古市古墳群のはじまりに近い、墳丘長150メートルの前方後円墳。
古室山古墳とはどんな古墳か
古室山古墳はひとことで言えば古市古墳群のはじまりに近い前方後円墳です。大阪府藤井寺市の古室にあり、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つになっています。
藤井寺市は「古墳の墳丘の長さは150メートルで、古市古墳群の中では中形の前方後円墳に属します。前方部は北東を向いています」としています。後円部の頂上の標高は約39メートルで、国府台地でも高いところにあります。
文化庁は主軸の長さを約160メートルとしており、市と国とで10メートルほど数字が違います。
墳丘の斜面には石が葺かれ、平坦面には円筒埴輪の列がありました。家・衣蓋・盾・靫・冑形の形象埴輪も確認されています。埋葬施設はわかっていません。
古室山古墳の読み方と別名
読みは「こむろやまこふん」です。所在地の古室という地名からとられています。
この古墳の指定名称は、二度変わっています。昭和31年9月22日に、古室山古墳・赤面山古墳・大鳥塚古墳・助太山古墳・鍋塚古墳の5基をまとめて「古室山古墳群」として国の史跡に指定されました。つまり、かつては古室山の名が、周辺の5基全体を指していました。
古室山古墳(こむろやまこふん)
藤井寺市と文化庁が用いる名。文化庁の登録では「ふりがな こむろやまこふん」と示されている。
古室山古墳群(こむろやまこふんぐん)
昭和31年の史跡指定のときの名。この古墳を含む5基をまとめた呼び方だった。
古市古墳群(ふるいちこふんぐん)
平成13年に指定名称が変更されたあとの名。いまはこの中に含まれる。
古室山古墳は誰の墓か
古室山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の治定もありません。国の史跡として藤井寺市が扱っています。
埋葬施設そのものが、まだ確かめられていません。藤井寺市はこう書いています。
人を葬った埋葬施設がどのようなものであったかは分かっていません。しかし、後円部の頂上に板状の石材が見受けられ、このような石材を用いて築かれた竪穴式石槨というものであった可能性が考えられます
藤井寺市は、被葬者の名ではなく、その立場について踏み込んだ説明をしています。同じ時期に築かれた津堂城山古墳は墳丘の長さが208メートルで、古室山古墳の150メートルより一回り大きい。その差は、権力者の間の力関係を表しているというのです。古室山古墳の被葬者も、津堂城山古墳の被葬者を頂点とした身分秩序に組み込まれていた、と市は書いています。
公式の説明:わかっていない
埋葬施設がどのようなものであったかは分からないとし、人物の比定はしていない。
学術的な見方のひとつ:津堂城山古墳の被葬者を頂点とする秩序に組み込まれた人物
同時期の前方後円墳の規模の差が、権力者の間の力関係を表すとする見方。
古室山古墳の大きさと形
藤井寺市は墳丘の長さを150メートルとし、古市古墳群の中では中形の前方後円墳に属するとしています。前方部は北東を向いています。
文化庁の解説は数字が異なります。
古室山古墳は、応神天皇陵と同皇后仲津姫命陵との間に介在する前方後円墳で、前方部を東北に面し主軸の長さ約160メートルを有する宏壮な封土をなし周囲に堀の跡が存する
文化庁は続けて「墳丘は殆んど開墾の厄にあっているが、よく旧規をとどめている」と記しています。長く畑として使われてきたため、裾の形が変わっている可能性があります。
墳丘の長さ(藤井寺市):150メートル
主軸の長さ(文化庁):約160メートル
後円部頂上の標高:約39メートル
同時期の津堂城山古墳の墳丘長:208メートル
藤井寺市内の前方後円墳:大小合わせて16基(うち6基が史跡)
隣接する大鳥塚古墳の主軸長:約120メートル
古室山古墳はいつ作られたか
古室山古墳の場所と行き方(観光情報)
後円部の頂上は標高約39メートルで、国府台地でも高いところにあります。藤井寺市は「視界をさえぎる巨木が少ないため、頂上からの眺望はすばらしいものがあります」としています。古市古墳群を見わたせる場所として、この古墳は特別です。すぐ近くには赤面山古墳、大鳥塚古墳、助太山古墳、鍋塚古墳があり、あわせて歩けます。
古室山古墳
古室山古墳の住所:藤井寺市古室
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:遊歩道と植樹が整備されている(藤井寺市は頂上からの眺望に触れている)
文化庁は、史跡「古市古墳群」の所在地を藤井寺市古室・青山・藤ヶ丘・津堂・野中・藤井寺、羽曳野市誉田・軽里・白鳥としています。古室山古墳はこのうち古室にあたります。
藤井寺市は道順をこう書いています。
西名阪自動車道の高架下の道路が古室2丁目付近でやや急な上り坂になります。この坂を登りきると、北側に小高い丘があり、説明板が立っています。これが古室山古墳です
最寄りの駅、駐車場、見学できる時間、料金については、公式の記載を確かめられませんでした。
古室山古墳の発見と調査の歩み
大きさの差が、身分の差だった
五基まとめて史跡になった時代
古室山古墳が国の史跡になったのは、昭和31年9月22日です。このとき指定されたのは古室山古墳だけではありませんでした。
赤面山古墳、大鳥塚古墳、助太山古墳、鍋塚古墳。あわせて5基が「古室山古墳群」という一つの名で指定されています。
文化庁の解説は、それぞれの規模を記しています。赤面山古墳は後円部の背後にある一辺約20メートルの方形墳。大鳥塚古墳はその北に接する主軸の長さ約120メートルの前方後円墳。助太山古墳は東方の一辺約36メートル、鍋塚古墳は東北方の一辺約50メートルの方形墳です。
大きな前方後円墳のまわりに、小さな方墳が寄り添う。古市古墳群では、この組み合わせが繰り返されます。
畑になり、それでも形が残った
文化庁の解説には、この古墳についてこう書かれています。
墳丘は殆んど開墾の厄にあっているが、よく旧規をとどめている
開墾とは、畑にするために土地を耕すことです。墳丘のほとんどが畑として使われてきました。それでも形は残りました。藤井寺市は、墳丘の斜面に石が葺かれていたこと、平坦面に円筒埴輪の列があったこと、家・衣蓋・盾・靫・冑形の形象埴輪が確認されていることを挙げています。
削られながら残る。古墳の多くは、この道をたどっています。
古室山古墳から出土したもの
中心部が調べられていないため、副葬品はわかっていません。後円部の頂上に板状の石材が見えることから、竪穴式石槨であった可能性が考えられている段階です。
出ているのは、墳丘を飾った埴輪と葺石です。古墳の外側だけがわかっていて、内側はこれからという状態が続いています。
葺石
墳丘の斜面に葺かれていた石。発掘によって実物が確かめられている。
円筒埴輪列
墳丘の平坦面に並べられていた、丸い筒の形の埴輪の列。
形象埴輪
家・衣蓋・盾・靫・冑の形をした埴輪。人や道具をかたどったもので、墳丘を飾った。
板状の石材
後円部の頂上に見られる。竪穴式石槨の一部である可能性が考えられている。
古室山古墳と関連する古墳
古室山古墳についてよくある質問
古室山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。埋葬施設も確かめられていません。藤井寺市は、津堂城山古墳の被葬者を頂点とした身分秩序に組み込まれていた人物と考えられる、としています。
古室山古墳の大きさはどれくらいですか。
藤井寺市は墳丘の長さを150メートル、文化庁は主軸の長さを約160メートルとしており、数字が違います。後円部の頂上の標高は約39メートルです。
古室山古墳はどこにありますか。
大阪府藤井寺市古室です。世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産で、国の史跡「古市古墳群」に含まれます。西名阪自動車道の高架下の道を古室2丁目付近まで進み、坂を登りきった北側です。
古室山古墳はいつ作られましたか。
藤井寺市は4世紀末から5世紀初頭としています。古市古墳群のなかで最も早く造られた古墳の一つに数えられます。
古室山古墳の頂上に登れますか。
藤井寺市は頂上からの眺望に触れており、遊歩道が整備されています。ただし見学時間や駐車場、料金についての公式の記載は確かめられませんでした。
古室山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)
上から棺を降ろして石で囲い、天井石でふさぐ埋葬施設。古墳時代前期に多い。
形象埴輪(けいしょうはにわ)
家や盾、靫、冑などの形をかたどった埴輪。円筒埴輪と並べて墳丘を飾った。
衣蓋(きぬがさ)
身分の高い人にさしかける傘。その形の埴輪が出ている。
国府台地(こうだいち)
藤井寺市に広がる中位の段丘。古市古墳群はこの台地の上に築かれた。
古室山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。