全国7番目の大きさ。古墳時代で国内最大とみられる木橋の跡が見つかった。
土師ニサンザイ古墳とはどんな古墳か
大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁にある大型の前方後円墳です。堺市の資料ではニサンザイ古墳と表記されます。
堺市は墳丘の規模を全長約300メートル、後円部径約170メートル、高さ約24.6メートル、前方部幅約224メートル、高さ約25.9メートルとし、日本で7番目の大きさとしています。前方部が大きく広がった、整った形の墳丘です。
墳丘は、宮内庁が反正天皇の空墓として陵墓参考地に指定して管理しています。誰の墓と定められているわけではありません。
2019年に世界文化遺産の構成資産となり、内濠は国の史跡に指定されました。平成24年から27年の調査では、後円部から濠に向かって、古墳時代では国内最大とみられる木の橋が架けられていた跡が見つかりました。主体部の構造や副葬品はわかっていません。
土師ニサンザイ古墳の読み方と別名
読みは「にさんざいこふん」です。「ニサンザイ」は、みささぎ(陵)が訛ったものと考えられています。
同じ堺市には上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵古墳)があり、藤井寺市には岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵古墳)があります。ミサンザイとニサンザイは同じ語がもとですが、指す古墳はまったく別です。
「土師」は「はぜ」と読みます。難しい読みですが、この地の古い地名です。堺市のページも世界遺産の一覧も、土師をつけないニサンザイ古墳の形を使っています。
ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)
堺市が用いる表記。世界文化遺産の構成資産としてもこの名で扱われる。
土師ニサンザイ古墳(はぜにさんざいこふん)
土地の名である土師を冠した呼び方。他のミサンザイと区別するときに使われる。
東百舌鳥陵墓参考地(ひがしもずりょうぼさんこうち)
宮内庁が墳丘を管理するうえでの呼び名。特定の人物への治定は行われていない。
土師ニサンザイ古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
堺市は「墳丘は、宮内庁が反正天皇の空墓として陵墓参考地に指定し、管理しています」としています。陵墓参考地とは、皇室の誰かの墓である可能性があるとして宮内庁が管理しつつ、誰の墓かまでは定めていない場所です。同じ百舌鳥古墳群の御廟山古墳も同じ扱いです。
注目したいのは、堺市自身が別の見方を紹介していることです。堺市の古墳探索のページには、この古墳が反正天皇陵古墳(田出井山古墳)のほぼ4倍の大きさで、築造時期もほぼ同じであることから、こちらを反正天皇陵古墳と考えている説もあると書かれています。
堺市は主体部の構造や副葬品についても、わかっていないとしています。
宮内庁の陵墓参考地:定められていない
宮内庁が反正天皇の空墓として陵墓参考地に指定している。特定の人物への治定はない。
学術的な見方のひとつ:第18代反正天皇
反正天皇陵古墳のほぼ4倍の大きさで築造時期もほぼ同じことから、こちらを反正天皇陵とする説がある。
断定できない:わかっていない
主体部の構造や副葬品はわかっていない、と明記されている。
土師ニサンザイ古墳の大きさと形
堺市の古墳データベースは、墳丘の規模を全長約300メートル、後円部径約170メートル、高さ約24.6メートル、前方部幅約224メートル、高さ約25.9メートルとしています。
いっぽう国史跡「ニサンザイ古墳内濠」のページでは、墳丘長300.3メートル、後円部径168.6メートル、前方部幅246.4メートルという細かい数字が示されています。後者は平成24年から27年の発掘調査にもとづく値で、前方部の幅が20メートル以上大きくなっています。
堺市の全国の大きさ順の表では、300以上として第7位に置かれています。墳丘は3段に築かれ、くびれ部の両側には造出しがあります。
墳丘の全長:約300メートル
後円部の径:約170メートル
前方部の幅:約224メートル
墳丘長(発掘調査にもとづく値):300.3メートル
前方部の幅(発掘調査にもとづく値):246.4メートル
全国での順位:第7位(300以上)
土師ニサンザイ古墳はいつ作られたか
土師ニサンザイ古墳の場所と行き方(観光情報)
百舌鳥古墳群の南東端にあたり、北西へ向かういたすけ古墳、御廟山古墳、大仙陵古墳へと道が続きます。堺市の古墳探索のページは、この一帯をひとつの道筋としてまとめています。
前方部側の濠の土堤が中央で外にふくらんでいるのは、かつて濠の水を灌漑に使っていたときの樋口の名残だと堺市は説明しています。
ニサンザイ古墳(土師ニサンザイ古墳)
ニサンザイ古墳(土師ニサンザイ古墳)の住所:堺市北区百舌鳥西之町3丁
交通:堺市の古墳探索のページは、最寄駅としてJR阪和線の百舌鳥駅・三国ヶ丘駅と、南海高野線の三国ヶ丘駅を挙げています
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:墳丘は宮内庁が陵墓参考地として管理しているため立ち入れない。濠は堺市が管理している
所在地は堺市が公表する堺市北区百舌鳥西之町3丁です。
墳丘は宮内庁の管理、濠は堺市の管理と、ひとつの古墳で管理者が分かれています。墳丘には入れませんが、濠のまわりの道からは前方部が大きく広がる姿をよく見ることができます。駐車場と料金は、公式の記載を確かめられませんでした。
土師ニサンザイ古墳の発見と調査の歩み
古墳時代で最大級の、木の橋
平成24年から27年(2012年から2015年)にかけて、堺市は墳丘の規模と形を確かめるために周濠を発掘しました。そのときに見つかったのが、橋の脚を立てた穴です。
堺市は、後円部の斜面から周濠にかけて、主軸線の上に幅約12メートル、長さ45メートル以上にわたる橋が架けられていたと考えられるとし、これは古墳時代では国内最大の木橋だとしています。
幅12メートルは、片側二車線の道路にあたる広さです。それだけの橋が、水をたたえた濠を越えて後円部へ向かって架かっていました。
300メートルと300.3メートル
この古墳には、大きさの数字がふたつあります。
堺市の古墳データベースは全長約300メートル、後円部径約170メートル、前方部幅約224メートルとします。いっぽう国史跡のページは、墳丘長300.3メートル、後円部径168.6メートル、前方部幅246.4メートルとしています。差が大きいのは前方部の幅で、約224メートルと246.4メートルでは20メートル以上も違います。
後者は、発掘調査で墳端が良好な状態で残っていると確かめられた結果です。現在の水面の際が、造られたときの墳丘の際ではなかったということです。上石津ミサンザイ古墳で二重目の濠が見つかったのと同じことが、ここでも起きています。
反正天皇陵は、どちらなのか
宮内庁は、堺市堺区にある田出井山古墳を反正天皇陵として治定しています。世界遺産の一覧では墳丘の長さ148メートルです。
いっぽうニサンザイ古墳は300メートルを超えます。堺市は、ニサンザイ古墳が反正天皇陵古墳のほぼ4倍の大きさで築造時期もほぼ同じことから、こちらを反正天皇陵古墳と考えている説もあると書いています。
宮内庁自身も、この古墳を反正天皇の空墓として陵墓参考地に指定しています。空墓とは、遺体を納めていないとされる墓のことです。同じ天皇の墓が二か所にあり、大きさが4倍違う。しかも大きいほうは、誰の墓か決めていない扱いのままです。
土師ニサンザイ古墳から出土したもの
堺市は「主体部の構造や副葬品はわかっていません」としています。棺の中にあったものは、ひとつも確かめられていません。
そのかわり、濠の中からは多様な木製品が出土しています。堺市は、これらが古墳におけるまつりの一端を示すとしています。水に沈んでいたことで、本来なら残らないはずの木が残りました。
葺石と埴輪
墳丘に葺石と埴輪があることを堺市が確認している。
笠形木製品
濠から出土した木製品のひとつ。まつりに使われたと考えられる。
木橋の橋脚の跡
後円部から濠へ向かう主軸線上で見つかった柱穴。幅約12メートル、長さ45メートル以上の橋の跡とされる。
土師ニサンザイ古墳と関連する古墳
土師ニサンザイ古墳についてよくある質問
ニサンザイ古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁は反正天皇の空墓として陵墓参考地に指定していますが、特定の人物への治定はしていません。堺市は、この古墳こそ反正天皇陵とする説もあると紹介しています。
ニサンザイ古墳はどこにありますか。
堺市北区百舌鳥西之町3丁、百舌鳥古墳群の南東端にあります。堺市は最寄駅としてJR阪和線の百舌鳥駅・三国ヶ丘駅と、南海高野線の三国ヶ丘駅を挙げています。
ニサンザイ古墳の大きさはどれくらいですか。
堺市によれば全長約300メートル、後円部径約170メートル、前方部幅約224メートルです。発掘調査にもとづく値では墳丘長300.3メートル、前方部幅246.4メートルとされます。
ニサンザイ古墳はいつ作られましたか。
堺市は古墳時代の5世紀後半としています。百舌鳥古墳群の大型古墳の中では、もっとも新しい側に位置づけられます。
ニサンザイ古墳の中に入れますか。
入れません。墳丘は宮内庁が陵墓参考地として管理しています。濠は堺市の管理で、まわりの道から墳丘を眺めることができます。
土師ニサンザイ古墳と併せて覚えたい言葉・用語
陵墓参考地(りょうぼさんこうち)
皇室の誰かの墓である可能性があるとして宮内庁が管理する場所。誰の墓かは定めていない。
空墓(からばか)
遺体を納めていないとされる墓。宮内庁はこの古墳を反正天皇の空墓として扱う。
内濠(ないごう)
二重にめぐる濠のうち、墳丘に近い内側のもの。ここでは現在も池として残る。
墳端(ふんたん)
墳丘のいちばん外側の際。これを見つけないと古墳の本当の大きさは決まらない。
土師ニサンザイ古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。