八角墳一覧|なぜ八角形なのか、どこにあるのか
八角形の墳丘を持つ古墳があります。数はごくわずかです。
七世紀の大王だけが、この形を用いたと考えられている。
前方後円墳が作られなくなり、方墳を経たあと、大王の墓は八角形になりました。
そして、この形の古墳はほぼ奈良県にしかありません。
このページでは、収録している八角墳を横に並べて比べます。
八角墳とは|なぜ八角形なのか
上から見て八角形の墳丘を持つ古墳です。
数はごく少なく、七世紀の一時期に限られます。
前方後円墳 → 方墳 → 八角墳
大王の墓の形は、この順に移りました。八角墳は、その最後の段階にあたります。
なぜ八角形なのか。よく挙げられるのは次の説明です。
八方を治める、という考え方を形にしたもの。
中国の思想で、八角は天下のすべての方角を指します。大王が八方を統べることを示した、という読み方です。
ただし、これは推定です。 八角形を選んだ理由を記した同時代の記録はありません。大陸の制度を取り入れた結果とする説もありますが、大陸に対応する形が見つかっているわけでもありません。
斉明天皇の真陵説|牽牛子塚古墳 1基
牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)は、八角墳です。明日香村は、平成21年の調査で対辺長約22メートル、高さ4.5メートル以上の八角形墳であることが判明したとしています。
斉明天皇の真陵とする説が有力。
決め手になったのは、内部の構造でした。
凝灰岩の巨石を刳り抜いた石槨の中に、墓室が二つある。
二人を葬るための造りです。そして2010年、南東に接して一辺約10メートルの方墳越塚御門古墳が見つかりました。
古い記録には、斉明天皇と間人皇女を合葬した陵の前に大田皇女を葬ったとあります。記述と遺跡の並びが合います。
ここが重要です。 被葬者が確定した古墳は日本にほとんどありませんが、この一基は構造と位置と記録が三つとも合った数少ない例です。
火葬骨を納めた八角墳|中尾山古墳 1基
中尾山古墳(奈良県明日香村)は、三段築成の八角墳です。奈良県は墳丘を、版築で築かれた対辺長約19.5メートル、高さ4メートル以上としています。
火葬した骨を納めたとみられる。
石室が極端に小さく、遺体をそのまま納める大きさがありません。骨壺を置くための空間と考えられています。
これは大きな変化です。 それまでの古墳は、遺体を棺に納めて埋葬しました。火葬は仏教とともに広まった葬り方で、
葬り方が変わると、墓の大きさが変わる。
骨だけを納めるなら、巨大な石室は要りません。古墳が小さくなり、やがて作られなくなる流れの中に、この一基があります。
被葬者は分かっていませんが、古くから文武天皇の名が挙がり続けてきました。奈良県は、江戸時代に多くの研究者が文武天皇陵として認識していたことが複数の文献からうかがえる、としています。すぐ南の丘に高松塚古墳があります。
束明神古墳(奈良県高取町)は7世紀末の古墳で、凝灰岩のブロックを組んで石室が築かれました。天武天皇と持統天皇のあいだに生まれた皇太子、草壁皇子の墓とする見方が有力視されています。
八角墳を並べる
収録している三基は、いずれも奈良県にあります。
| 古墳 | 所在 | 規模・構造 | 被葬者とされる人 |
|---|---|---|---|
| 牽牛子塚古墳 | 奈良県明日香村 | 対辺長約22メートル。巨石を刳り抜いた二室 | 斉明天皇(説が有力) |
| 中尾山古墳 | 奈良県明日香村 | 対辺長約19.5メートル。三段築成。火葬骨か | 文武天皇(説が有力) |
| 束明神古墳 | 奈良県高取町 | 凝灰岩のブロックを組んだ石室。7世紀末 | 草壁皇子(説が有力) |
並べると、八角墳は特定の時期と特定の身分に限られるとわかります。
七世紀後半。大王とその近親だけ。
前方後円墳が全国で四百年にわたり築かれたのとは、まったく違う性格です。数が少ないのは偶然ではなく、誰が使ってよいかが決まっていたためと考えられています。
この図鑑の収録3基は、いずれも奈良県にあります。八角墳の分布そのものが、飛鳥とその周辺に強く偏っています。
もうひとつ、中尾山古墳の火葬が示すものがあります。
葬り方が変われば、墓は小さくなる。
巨大な石室を必要としなくなり、八角墳を最後に、大王の墓としての古墳は作られなくなります。八角墳は、古墳時代の終わりの形です。
八角墳についてよくある質問
八角墳とはどんな古墳ですか。
上から見て八角形の墳丘を持つ古墳です。七世紀の一時期に限られ、大王とその近親だけが用いたと考えられています。
なぜ八角形なのですか。
中国の思想で八角が天下のすべての方角を指すことから、大王が八方を統べることを形にしたという読み方が示されています。ただし理由を記した同時代の記録はなく、推定です。
八角墳はどこにありますか。
この図鑑の収録3基は、いずれも奈良県にあります。牽牛子塚古墳と中尾山古墳が明日香村、束明神古墳が高取町です。八角墳の分布は飛鳥とその周辺に強く偏っています。
八角墳はいつ作られたのですか。
七世紀後半です。前方後円墳が作られなくなり、方墳を経たあとの段階にあたり、八角墳を最後に大王の墓としての古墳は作られなくなります。
被葬者がわかっている八角墳はありますか。
確定した例はありませんが、牽牛子塚古墳は斉明天皇の真陵とする説が有力です。巨石を刳り抜いた二つの墓室という構造、2010年に南東で見つかった越塚御門古墳の位置、そして古い記録の三つが合った数少ない例です。
八角墳の一覧(収録しているすべての古墳) 7基
本文で取り上げなかったものも含めて、この形に属する古墳をすべて並べています。名前を押すと個別ページへ移ります。