前方後円墳一覧|大きさの順位・誰の墓か・どこにあるか
上から見ると鍵穴の形をした墳丘。日本で古墳といえば、まずこの形が浮かびます。
この形は、日本列島の外に例がない。
三世紀の奈良盆地で生まれ、四百年をかけて東北から九州まで広がり、そして作られなくなりました。
このページでは、収録している前方後円墳を横に並べて比べます。
前方後円墳とは
円い墳丘に、四角い墳丘をつなげた形の古墳です。
円い側を後円部、四角い側を前方部と呼びます。
「前」と「後」は、見た目とは関係ありません。 江戸時代の学者・蒲生君平が、この形を御所車に見立てて名づけたものとされます。牛が引く側を前としたため、四角いほうが前方部になりました。
形の名前が、そのまま学術用語になっている。
埋葬されているのは、多くの場合後円部です。前方部は儀式の場だったとする見方が有力ですが、前方部にも埋葬施設を持つ古墳があり、用途が一つに決まっているわけではありません。
俗に「鍵穴形」とも呼ばれます。上空から見た形がそう見えるためで、学術上の呼び名ではありません。
大きさの順位|日本最大の前方後円墳 9基
順位は、何をものさしにするかで入れ替わります。
墳丘の長さでは大仙陵古墳、体積では誉田御廟山古墳が最大。
大仙陵古墳(大阪府堺市)は墳丘の長さ486メートル。堺市は後円部の直径を249メートル、高さを35.8メートルとしています。濠を含めた最大長は840メートルに達します。
誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)は墳丘長425メートル。長さでは第2位ですが、高く盛られているため体積では日本最大とされます。
第3位は上石津ミサンザイ古墳の約365メートル。ここまでの3基が、いずれも大阪府にあります。
近畿だけではありません。 岡山県の造山古墳は墳丘長350メートルで、
近畿を除けば最大。全国でも第4位。
しかも造山古墳は、大王級の大きさでありながら墳丘に登れます。宮内庁の管理下にないためです。
大仙陵古墳
DAISENRYO-KOFUN 前方後円墳 大阪府 名前の知られた古墳誉田御廟山古墳
KONDAGOBYOYAMA-KOFUN 前方後円墳 大阪府 名前の知られた古墳上石津ミサンザイ古墳
KAMIISHIZU-MISANZAI-KOFUN 前方後円墳 大阪府 名前の知られた古墳造山古墳
TSUKURIYAMA-KOFUN 前方後円墳 岡山県 名前の知られた古墳土師ニサンザイ古墳
HAZE-NISANZAI-KOFUN 前方後円墳 大阪府 名前の知られた古墳作山古墳
SAKUZAN-KOFUN 前方後円墳 岡山県ウワナベ古墳
UWANABE-KOFUN 前方後円墳 奈良県宝来山古墳
HORAISAN-KOFUN 前方後円墳 奈良県墓山古墳
HAKAYAMA-KOFUN 前方後円墳 大阪府最初の前方後円墳|どこで生まれたか 7基
この形は、奈良盆地の東南部で始まったと考えられています。
箸墓古墳(奈良県桜井市)は、日本列島で最初の巨大前方後円墳とされます。
卑弥呼の墓とする説がある。
ただし確かめられてはいません。 宮内庁が陵墓として管理しており、発掘調査ができないためです。被葬者が確定した巨大古墳は、日本に一つもありません。
箸墓より前に築かれたとされるのがホケノ山古墳で、石囲い木槨という古い構造を持ちます。纒向石塚古墳も同じ一帯にあります。
この地域の古墳からは、三角縁神獣鏡がまとまって出ています。黒塚古墳は33面が棺を囲んで並んだ状態で見つかり、椿井大塚山古墳でも33面以上が出土しました。
同じ鏡が、各地の古墳に分かれて納められている。
中央から配られたものと読む説が有力ですが、鏡がどこで作られたのかは決着していません。
箸墓古墳
HASHIHAKA-KOFUN 前方後円墳 奈良県 名前の知られた古墳ホケノ山古墳
HOKENOYAMA-KOFUN 前方後円墳 奈良県纒向石塚古墳
MAKIMUKUISHIZUKA-KOFUN 前方後円墳 奈良県 名前の知られた古墳椿井大塚山古墳
TSUBAI-OTSUKAYAMA-KOFUN 前方後円墳 京都府 名前の知られた古墳黒塚古墳
KUROZUKA-KOFUN 前方後円墳 奈良県 名前の知られた古墳桜井茶臼山古墳
SAKURAICHAUSUYAMA-KOFUN 前方後円墳 奈良県メスリ山古墳
MESURIYAMA-KOFUN 前方後円墳 奈良県文字が出た古墳|誰の墓かに近づいた例 5基
被葬者はほとんど分かっていませんが、文字が出た古墳は例外に近づきます。
稲荷山古墳(埼玉県行田市)からは、115文字を刻んだ金錯銘鉄剣が出ました。
系譜と、仕えた大王の名が書かれていた。
江田船山古墳(熊本県和水町)からは75文字の銀象嵌銘大刀が出ています。埼玉と熊本という遠く離れた二つの古墳が、同じ大王の名を記していました。
今城塚古墳(大阪府高槻市)は継体大王の墓と考えられています。宮内庁が継体天皇陵として治定しているのは太田茶臼山古墳のほうですが、
年代が合わず、真陵は今城塚とする説が有力。
治定と学術的な見解は、別のものです。 今城塚は陵墓に指定されていないため発掘が進み、墳丘に登ることもできます。
岩戸山古墳(福岡県八女市)は、筑紫君磐井の墓とされます。石人石馬が並ぶ九州最大級の前方後円墳です。
各地の最大|どこまで広がったか 10基
前方後円墳は、東北南部から九州南部まで築かれました。
同じ形が、これだけの範囲で作られた。
内裏塚古墳(千葉県富津市)は全長144メートルで、南関東で最大。舟塚山古墳(茨城県石岡市)は茨城県で最大、断夫山古墳(愛知県名古屋市)は東海地方で最大です。
甲斐銚子塚古墳(山梨県)は東日本で最大級とされ、周溝を一周して歩けます。森将軍塚古墳(長野県千曲市)は4世紀中頃の信濃最大級で、復元されて教科書にも載りました。
五色塚古墳(兵庫県神戸市)は特別な例です。
築造当時の姿に復元された、日本で初めての古墳。
葺石を積み直し、埴輪を並べ直してあります。土を盛っただけの丘ではなく、石で覆われた白い建造物だったことが、ここで実際に見られます。
虎塚古墳(茨城県ひたちなか市)は東日本の装飾古墳で、前方後円墳としては唯一とされます。
内裏塚古墳
DAIRIZUKA-KOFUN 前方後円墳 千葉県舟塚山古墳
FUNATSUKAYAMA-KOFUN 前方後円墳 茨城県断夫山古墳
DANPUSAN-KOFUN 前方後円墳 愛知県甲斐銚子塚古墳
KAI-CHOSHIZUKA-KOFUN 前方後円墳 山梨県森将軍塚古墳
MORISHOGUNZUKA-KOFUN 前方後円墳 長野県昼飯大塚古墳
HIRUI-OTSUKA-KOFUN 前方後円墳 岐阜県 名前の知られた古墳五色塚古墳
GOSHIKIZUKA-KOFUN 前方後円墳 兵庫県虎塚古墳
TORATSUKA-KOFUN 前方後円墳 茨城県亀甲山古墳
KAMENOKOYAMA-KOFUN 前方後円墳 東京都青塚古墳
AOTSUKA-KOFUN 前方後円墳 愛知県前方後円墳を大きさの順に並べる
収録しているもののうち、上位を長さの順に並べます。
| 古墳 | 所在 | 墳丘長 | 順位・特徴 |
|---|---|---|---|
| 大仙陵古墳 | 大阪府堺市 | 486メートル | 日本最大。仁徳天皇陵として管理 |
| 誉田御廟山古墳 | 大阪府羽曳野市 | 425メートル | 長さ第2位。体積では日本最大 |
| 上石津ミサンザイ古墳 | 大阪府堺市 | 約365メートル | 日本第3位 |
| 造山古墳 | 岡山県岡山市 | 約350メートル | 近畿を除いて最大。墳丘に登れる |
| ウワナベ古墳 | 奈良県奈良市 | 255メートル | 全国第13位 |
| 墓山古墳 | 大阪府羽曳野市 | 225メートル | 応神天皇陵古墳の陪冢として管理 |
| 内裏塚古墳 | 千葉県富津市 | 144メートル | 南関東で最大 |
並べると、上位が大阪と奈良に集中しているとわかります。
大きさは、そのまま力の大きさとして読まれてきた。
ただし大きさだけで序列を決めると見誤ります。造山古墳は近畿の外にありながら全国第4位で、稲荷山古墳は115メートル級ながら115文字の鉄剣を残しました。
残っている情報の量は、大きさの順とは一致しません。
もうひとつ、この形は六世紀の終わりごろから作られなくなります。
大王の墓は、方墳を経て八角墳へ移っていく。
前方後円墳をやめたことが、何を意味するのかは今も議論が続いています。中央の権力の性格が変わったとする見方が示されていますが、決着していません。
前方後円墳についてよくある質問
日本でいちばん大きい前方後円墳はどれですか。
墳丘の長さでは大阪府堺市の大仙陵古墳で、486メートルです。ただし体積では、墳丘長425メートルの誉田御廟山古墳が日本最大とされます。
なぜ四角いほうが「前方部」なのですか。
江戸時代の学者・蒲生君平が、この形を牛の引く御所車に見立てて名づけたためとされます。牛が引く側を前としたので、四角いほうが前方部になりました。見た目の前後とは関係ありません。
前方後円墳は誰の墓ですか。
被葬者が確定した巨大古墳は日本に一つもありません。宮内庁が天皇陵として管理しているものがありますが、それは治定であって、発掘で確かめられた被葬者とは限りません。
前方後円墳はどこで生まれたのですか。
奈良盆地の東南部と考えられています。箸墓古墳が日本列島で最初の巨大前方後円墳とされ、その前にホケノ山古墳や纒向石塚古墳が築かれました。
中に入れる前方後円墳はありますか。
墳丘に登れるものがあります。岡山県の造山古墳、大阪府の今城塚古墳、奈良県の巣山古墳などです。宮内庁が陵墓として管理している古墳には立ち入れません。
前方後円墳はいつまで作られたのですか。
六世紀の終わりごろから作られなくなります。大王の墓は方墳を経て八角墳へ移っていきますが、その理由については議論が続いています。
前方後円墳の一覧(収録しているすべての古墳) 125基
本文で取り上げなかったものも含めて、この形に属する古墳をすべて並べています。名前を押すと個別ページへ移ります。