磨いた切石で組んだ石室が開いており、岩屋山式の名のもとになった古墳。
岩屋山古墳とはどんな古墳か
岩屋山古墳は、奈良県高市郡明日香村大字越にある方墳です。近鉄飛鳥駅のすぐ西方にあり、牽牛子塚古墳やマルコ山古墳のある真弓丘の東端にあたります。
明日香村は「昭和48年からの調査の結果、一辺約54メートルの方形墳が想定された」としています。
見どころは石室です。明日香村は「石室は表面を磨いた精美な切石造の横穴式石室であり、ほぼ南面して開口している」としています。文化庁も「巨大な花崗岩の切石で築造された整備な横穴式石室をもつ古墳時代末期の代表的古墳である」としています。
この石室の作りが物差しとなり、同じ形式の石室が「岩屋山式」と呼ばれるようになりました。
被葬者について明日香村は、吉備姫王・巨勢雄柄宿禰・斉明天皇らの名が挙がるが詳細は不明としています。築造は七世紀前半です。
岩屋山古墳の読み方と別名
読みは「いわややまこふん」です。文化庁のデータベースにも、ふりがなが「いわややまこふん」の形で載っています。
いわやさんと読まれることもありますが、公式のふりがなは「いわややま」です。岩屋、つまり石の家のような石室が開いていることからの名です。所在地の越は「こし」と読みます。
この古墳の名は、石室の型式の名にもなりました。同じ規格の石室を持つ古墳を岩屋山式、その壁面構成を簡単にしたあとの時期のものを岩屋山亜式と呼びます。古墳の名が、そのまま物差しの名になった例です。
岩屋山古墳(いわややまこふん)
文化庁のデータベースが用いる名。ふりがなも「いわややまこふん」で載っています。
岩屋山式(いわややましき)
この古墳の石室と同じ規格を持つ石室の呼び名。飛鳥から桜井にかけて分布します。
岩屋山亜式(いわややまあしき)
岩屋山式の壁面構成を簡単にした、あとの時期の石室の呼び名。
岩屋山古墳は誰の墓か
岩屋山古墳の被葬者はわかっていません。宮内庁の陵墓にも陵墓参考地にも定められていません。
明日香村は、候補として三つの名を挙げたうえで、はっきりと不明としています。
被葬者については、吉備姫王(きびひめのみこ)・巨勢雄柄宿禰・斉明天皇らの名があげられるが詳細は不明である。七世紀前半の築造である。
吉備姫王は皇極天皇と孝徳天皇の母とされる人物、斉明天皇は皇極天皇が重祚した名です。巨勢雄柄宿禰は古い豪族の名です。系統も時代もばらばらの三人が並んでいること自体が、決め手の無さを表しています。候補の名を挙げながら、不明と書き切るのが公式の姿勢です。
なお、同じ明日香村の牽牛子塚古墳は、斉明天皇の真陵とする説が有力とされる八角墳です。岩屋山古墳の被葬者候補にも斉明天皇の名が挙がっており、二つの説が並び立っていることになります。
候補として名が挙がる:吉備姫王・巨勢雄柄宿禰・斉明天皇など
三つの名を挙げたうえで、詳細は不明であるとしている。
公式の説明:わかっていない
史跡の解説は石室の評価のみで、被葬者に触れていない。
岩屋山古墳の大きさと形
明日香村は「昭和48年からの調査の結果、一辺約54メートルの方形墳が想定された」としています。墳丘の西側は大きく壊されており、発掘調査から本来の姿を復元した値です。
一辺54メートルは、方墳としてはかなり大きい部類に入ります。
史跡として指定されている面積は1,125平方メートルです。
石室は、表面を磨いた切石を用いた横穴式石室で、ほぼ南に向けて開口しています。石室の各部の寸法は、公式のページでは確かめられませんでした。
墳形については、下の段が方形であることから方墳とされますが、上の段を八角形とみる説もあります。明日香村と文化庁のページでは、方形墳としての記載を確かめられます。
墳丘の一辺(想定):約54メートル
史跡の面積:1,125平方メートル
石室の向き:ほぼ南面して開口
築造の時期:七世紀前半
史跡の指定年月日:1968.05.11(昭和43年5月11日)
岩屋山古墳はいつ作られたか
明日香村は、この古墳について「七世紀前半の築造である」とはっきり書いています。この組の10基のなかで、公式のページに築造の時期が明記されている数少ない例です。
文化庁も「古墳時代末期の代表的古墳である」としており、終わりのころの古墳という位置づけは一致しています。七世紀前半は、飛鳥に宮が置かれ、仏教が広まっていく時期にあたります。
同じ明日香村では、石舞台古墳が蘇我馬子の墓とされ、少しあとの牽牛子塚古墳、中尾山古墳、高松塚古墳、キトラ古墳が続きます。岩屋山古墳は、その流れの早いほうに置かれます。
石室の型式から時期を考える研究では、七世紀の中頃から後半に置く見方もあります。史跡の指定は1968年5月11日です。
岩屋山古墳の場所と行き方(観光情報)
明日香村には、この図鑑がすでに収める石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳、牽牛子塚古墳があります。同じ組で収める中尾山古墳も明日香村です。
岩屋山古墳は近鉄飛鳥駅のすぐ西で、村を歩き始める起点にしやすい場所にあります。真弓丘をはさんだ向こう側には、牽牛子塚古墳とマルコ山古墳があります。終末期の古墳をつなげて歩ける範囲です。
岩屋山古墳
所在地は、明日香村の指定文化財のページに「明日香村大字越」と載っています。同じページは、この古墳が「近鉄飛鳥駅のすぐ西方に位置する」としています。
駐車場と料金については、公式のページで確かめられませんでした。推測では書きません。
石室は、ほぼ南に向けて開口しています。駅から歩いてすぐの場所に、切石で組まれた石室が開いているという、めずらしい古墳です。見学の可否や時間は、明日香村の案内でご確認ください。
岩屋山古墳の発見と調査の歩み
磨いた切石で組んだ石室
岩屋山古墳の値打ちは、石室の作りの精度にあります。
文化庁は、この古墳を「巨大な花崗岩の切石で築造された整備な横穴式石室をもつ古墳時代末期の代表的古墳である」と短く評価しています。明日香村も「石室は表面を磨いた精美な切石造の横穴式石室であり、ほぼ南面して開口している」としています。
切石とは、面をそろえて切り出した石のことです。それをさらに磨いてから積む。積むというより、組み立てるという言い方のほうが近い作りです。
同じ明日香村の石舞台古墳が、巨大な自然石を積み上げた迫力で知られるのとは対照的です。石舞台が力の古墳なら、岩屋山は技の古墳だと言えます。
「岩屋山式」という物差し
この古墳の名は、石室の型式の名にもなりました。
明日香村は「このような切石造の横穴式石室は、飛鳥地方から桜井地方にかけて多く分布し、「岩屋山式」とも呼ばれる」としています。
同じ規格で作られた石室、あるいは同じ仕様で規模を縮めた石室が、奈良県から大阪府にかけていくつも見つかっています。一つの古墳の石室が、ほかの古墳の年代や系統を測る物差しになったのです。
さらに、岩屋山式の壁面構成を簡単にした、あとの時期の石室を岩屋山亜式と呼びます。土器の型式と同じ考え方が、石室にも当てはめられています。
名づけられた側の古墳という点で、岩屋山古墳は特別な位置にあります。大きさでも出土品でもなく、作りの規格で名を残しました。
真弓丘の東端に立つ
岩屋山古墳が立つ場所も、この古墳の性格を語ります。
明日香村は「牽牛子塚古墳やマルコ山古墳の所在する真弓丘の東端にあたる」としています。真弓丘は、明日香村の西寄りにある丘で、終末期の古墳が集まる場所です。
この図鑑がすでに収める牽牛子塚古墳は八角墳で、斉明天皇の真陵とする説が有力とされます。マルコ山古墳は六角形の墳丘を持つとされます。八角、六角、方形。丘一つのなかに、違う形の墳丘が並んでいます。
形が定型から外れ、しかも一基ごとに違う。前方後円墳がぴたりと同じ形で全国に広がった時代とは、まったく違う段階に入っています。飛鳥の古墳を歩くとは、その終わり方を見て回ることでもあります。
岩屋山古墳から出土したもの
岩屋山古墳から何が出たかについて、公式のページでは確かめられませんでした。この節に並べられる出土品はありません。
横穴式石室は南に開口しており、古くからその存在が知られていました。開いている石室は、誰でも入れる石室でもあります。
同じ明日香村でも、高松塚古墳とキトラ古墳は壁画が残りました。開いていたか、閉じていたか。その違いが、残るものの量を決めています。
岩屋山古墳と関連する古墳
岩屋山古墳についてよくある質問
岩屋山古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。明日香村は吉備姫王・巨勢雄柄宿禰・斉明天皇らの名が挙がるとしたうえで、詳細は不明であるとしています。宮内庁の陵墓にも定められていません。
岩屋山古墳はどこにありますか。
奈良県高市郡明日香村大字越です。明日香村は、近鉄飛鳥駅のすぐ西方に位置するとしています。真弓丘の東端にあたります。
岩屋山古墳の大きさはどれくらいですか。
明日香村は、昭和48年からの調査の結果、一辺約54メートルの方形墳が想定されたとしています。史跡として指定されている面積は1,125平方メートルです。
岩屋山古墳はいつ作られたのですか。
明日香村は七世紀前半の築造としています。文化庁も古墳時代末期の代表的古墳としており、終わりのころの古墳という位置づけは一致しています。
岩屋山古墳の石室には入れますか。
石室はほぼ南面して開口しています。ただし見学の可否や時間について、公式のページでは確かめられませんでした。訪ねる前に明日香村の案内をご確認ください。
岩屋山古墳と併せて覚えたい言葉・用語
横穴式石室(よこあなしきせきしつ)
横から出入りできる通路を備えた石室。あとから追加で葬ることができる。
切石(きりいし)
面をそろえて切り出した石。自然石を積む石室より、はるかに手間がかかる。
岩屋山式(いわややましき)
岩屋山古墳の石室と同じ規格を持つ横穴式石室の型式。年代を測る物差しに使われる。
方墳(ほうふん)
墳丘が四角い古墳。前方後円墳が造られなくなったあとの時期にも見られる。
岩屋山古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。