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奈良県

鬼の俎・鬼の雪隠とはどんな古墳か|誰の墓か・場所

鬼の俎・鬼の雪隠  / オニノマナイタオニノセッチン

方墳 7世紀

盛り土を失い、石槨の底石と蓋石だけが野に残された飛鳥の古墳。

鬼の俎・鬼の雪隠とはどんな古墳か

奈良県高市郡明日香村にある、花崗岩の巨石二つです。畑の中を通る遊歩道をはさんで、高台に「鬼の俎」が、その麓に「鬼の雪隠」が転がっています。二つは直線で数十メートルほど離れているといわれます。

もとは一つの古墳の横口式石槨、つまり石をくり抜いてつくった棺室だったとされます。俎が底石、雪隠が蓋石にあたり、盛り土が失われたうえ、蓋が斜面を転げ落ちて二つに分かれた姿だと考えられています。底石には、横口式石槨の特徴である扉石を据えた痕跡が見られるとされます。

底石にはほぞ穴が並びますが、これは後の世に割り取って石材として使おうとした跡とみられています。石舞台古墳と同じく、盛り土を失って石だけが残った古墳です。

この古墳については、公式ページを1本も確かめられませんでした。以下の記述は下調べにもとづくもので、数字や住所は公式に確認できていません。

鬼の俎・鬼の雪隠の読み方と別名

読みは「おにのまないた」「おにのせっちん」です。古墳の名としては、かなり変わった部類に入ります。

名の由来は言い伝えです。霧ヶ峰と呼ばれたこの一帯には鬼が住んでおり、通りかかる人に霧を降らせ、迷ったところを捕らえて食べたといわれます。その鬼が「俎」で調理し、「雪隠」で用を足したという話です。

石の形を見て、まな板と便所に見立てた。それだけの話ですが、こういう見立ての名は各地にあります。すり鉢を伏せた形から名がついた東京都の摺鉢山古墳、茶臼を伏せた形からきた各地の茶臼山古墳と、付き方は同じです。もとの用途が忘れられたあとに、形だけが残って名になります。

鬼の俎(おにのまないた)

底石のほうの呼び名。俎は、食べ物を切るときに使うまな板のこと。

鬼の雪隠(おにのせっちん)

蓋石のほうの呼び名。雪隠は厠、つまり便所を指す古い言い方。

鬼の俎・雪隠古墳(おにのまないた・せっちんこふん)

二つを一つの古墳として扱うときの呼び方。もとは一基の石槨だったとされる。

鬼の俎・鬼の雪隠は誰の墓か

この石槨に葬られた人が誰かは、わかっていません

宮内庁は、この二つの石を欽明天皇の檜隈坂合陵の陪冢として扱っているとされます。陪冢とは、大きな古墳のそばに寄り添うように築かれた小さな墓のことです。ただし、その扱いを記した宮内庁の公式ページを確かめられませんでした。

仮に陪冢という扱いが正しいとしても、それは行政上の位置づけであって、誰が葬られたのかを示すものではありません。治定は、学問的に確かめられた事実とは別のものです。

盛り土も副葬品も残っておらず、手がかりは石そのものだけです。花崗岩をくり抜いて棺室をつくるという造り方は、飛鳥の終末期の古墳に見られるもので、同じ明日香村の牽牛子塚古墳中尾山古墳と近い時期のものと考えられています。石の大きさから、相応の身分の人物であったとは言えますが、そこから先はわかりません。

鬼の俎・鬼の雪隠の大きさと形

この石槨の大きさを記した公式ページは、1本も確かめられませんでした。以下は下調べにもとづく数字で、公式に確認できたものではありません。

底石にあたる「鬼の俎」は、長さおよそ4.5メートル、幅およそ2.7メートル、厚さおよそ1メートルとされます。蓋石にあたる「鬼の雪隠」は、内側の幅がおよそ1.5メートル、高さがおよそ1.3メートルとされます。

花崗岩の一枚石をくり抜いて棺室をつくるという造り方は、石舞台古墳のように石を積み上げる横穴式石室とは、考え方からして違います。積むのではなく、彫る。石の切り出しと加工の技術が、それだけ上がっていたということです。

もとの墳丘については、盛り土がすっかり失われているため、形も大きさもわかっていません。この図鑑では、同じ時期の同じ形式の古墳にならって方墳として扱っていますが、墳形が確かめられたわけではありません。

鬼の俎・鬼の雪隠はいつ作られたか

築造年代を記した公式ページを、1本も確かめられませんでした。

手がかりは、石槨の形式です。花崗岩をくり抜いた横口式石槨は、古墳時代の終わりごろ、いわゆる終末期の古墳に見られる形です。畿内では7世紀に入ると、前方後円墳が造られなくなり、方墳や八角墳が現れ、石室も切石を組んだり石をくり抜いたりする形に変わっていきます。

明日香村には、この時期の古墳が集まっています。高松塚古墳キトラ古墳、牽牛子塚古墳、中尾山古墳、マルコ山古墳岩屋山古墳。いずれも小ぶりで、そのかわり石の加工が際立って精密です。

鬼の俎・鬼の雪隠も、その流れの中に置かれます。ただし、副葬品も土器も残っていないため、年代を絞る材料がありません。

鬼の俎・鬼の雪隠の場所と行き方(観光情報)

明日香村には、石舞台古墳・高松塚古墳・キトラ古墳・牽牛子塚古墳・中尾山古墳・岩屋山古墳・マルコ山古墳・菖蒲池古墳と、終末期の古墳が集まっています。歩いて回れる範囲に、7世紀の古墳がこれだけ並ぶ場所はほかにありません。

鬼の俎・鬼の雪隠は、そのなかでもとくに変わった姿をしています。墳丘が無く、囲いも無く、石だけが野に置かれている。それが、この古墳の見え方です。

鬼の俎・鬼の雪隠

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鬼の俎・鬼の雪隠の住所:公式には確認できませんでした

交通:公式には確認できませんでした

駐車場:公式には確認できませんでした

料金:公式には確認できませんでした

内部見学:宮内庁が陪冢として扱っているとされ、陵墓に準じる場所は原則として立ち入ることができません。ただし、この二つの石について立ち入りの可否を記した公式ページは確認できませんでした

この古墳については、住所も行き方も料金も、公式ページで確かめられませんでした。

下調べによれば、鬼の俎は明日香村野口、鬼の雪隠は明日香村平田にあるとされます。ただし、これを裏づける公式ページを確かめられなかったため、住所として書くことはできません。

畑の中を通る遊歩道の脇にあり、高台に俎、遊歩道をはさんだ麓に雪隠が置かれているといわれます。現地を訪ねる前には、明日香村の観光案内で最新の状況を確かめてください。

鬼の俎・鬼の雪隠の発見と調査の歩み

  1. 転げ落ちた蓋
  2. ほぞ穴が語ること
  3. もう一つの底石があった

転げ落ちた蓋

この二つの石が、もとは一つだったという見方には根拠があります。

「鬼の俎」は、上面が平らに整えられた大きな一枚石です。その縁には、扉石を据えた痕跡が残るとされます。いっぽう「鬼の雪隠」は、内側がくり抜かれた石で、伏せれば俎の上にちょうど載る形をしています。上下を合わせれば、石をくり抜いた棺室が一つできあがります。

盛り土が削られていくうちに、上に載っていた蓋石が斜面を転げ落ちた。落ちた蓋は仰向けになり、くり抜かれた内側が上を向いた。それが便所に見えた。名の由来は、そのあたりにあると考えられています。

もとの位置に戻せば一つの石槨になる。二つの石が数十メートル離れて置かれているという、それだけの事実から、失われた古墳の形が読み取れます。

ほぞ穴が語ること

「鬼の俎」の石には、ほぞ穴が並んでいます。

これは、古墳が造られたときのものではないとみられています。後の世に、この石を割り取って建物の石材として使おうとした跡だと考えられています。石に穴を並べて開け、そこに楔を打ち込んで割る。石を切り出すときの、昔からのやり方です。

割ろうとして、途中でやめたのか、それとも一部を割り取っていったのか。はっきりしたことはわかりません。ただ、この石が長いあいだ「使える石」として見られていたことは確かです。

古墳の石が持ち去られる例は各地にあります。奈良県の石舞台古墳は盛り土を失い、大阪府の百舌鳥大塚山古墳は土ごと運び去られました。鬼の俎・鬼の雪隠は、割られる寸前で残ったことになります。

もう一つの底石があった

この石槨には、双墓ではないかという説があります。

下調べによれば、いまの「鬼の俎」に隣り合う場所に、もう一つやや小ぶりな底石があったといわれます。その石は明治のころに小さく割られ、民家の庭石に転用されたと伝えられます。割られた石はのちに民家から運び出され、いまは橿原考古学研究所附属博物館の屋外に展示されているとされます。

もしこれが正しければ、鬼の俎・鬼の雪隠は二基が並ぶ墓、つまり双墓だったことになります。夫婦や親子を並べて葬るという形は、終末期の古墳に例があります。

ただし、これらはいずれも下調べにもとづく話で、公式ページで確かめられたものではありません。二つの石が、失われた三つ目の石の存在まで示している。そういう読み方ができる、というところまでです。

鬼の俎・鬼の雪隠から出土したもの

この古墳から出た品は、何も知られていません。盛り土が失われ、石槨が開いた状態で長く野ざらしになっていたためです。

残っているのは石そのものだけです。それでも、石の形からわかることはあります。扉石を据えた痕跡があること、蓋と底が合う寸法であること、後の世に割られかけたこと。出土品が無くても、石は読めます。

底石(鬼の俎)

横口式石槨の底にあたる花崗岩の一枚石。縁に扉石を据えた痕跡が残るとされる。

蓋石(鬼の雪隠)

内側をくり抜いた花崗岩。伏せれば底石の上に載る形をしている。

ほぞ穴

底石に並ぶ穴。後の世に割り取って石材にしようとした跡とみられている。

副葬品

盛り土も棺の中身も失われており、副葬品はまったく知られていない。

鬼の俎・鬼の雪隠と関連する古墳

鬼の俎・鬼の雪隠についてよくある質問

鬼の俎・鬼の雪隠は誰の墓ですか。

わかっていません。宮内庁が欽明天皇陵の陪冢として扱っているとされますが、それを記した公式ページは確かめられませんでした。治定は行政上の扱いで、被葬者が確かめられたという意味ではありません。

鬼の俎・鬼の雪隠はどこにありますか。

奈良県高市郡明日香村にあります。ただし番地までの住所や行き方を記した公式ページは、1本も確かめられませんでした。訪ねる前に、明日香村の観光案内で確かめてください。

鬼の俎・鬼の雪隠の大きさはどれくらいですか。

大きさを記した公式ページは確かめられませんでした。下調べでは、底石が長さおよそ4.5メートル、幅およそ2.7メートル、厚さおよそ1メートルとされます。

鬼の俎・鬼の雪隠はいつ作られましたか。

築造年代を記した公式ページは確かめられませんでした。花崗岩をくり抜いた横口式石槨という形式から、古墳時代の終わりごろ、終末期のものと考えられています。

なぜ鬼の俎・鬼の雪隠という名なのですか。

この一帯に住んだ鬼が、通行人に霧を降らせて捕らえ、俎で調理し、雪隠で用を足したという言い伝えによります。石の形を、まな板と便所に見立てた呼び名です。

鬼の俎・鬼の雪隠と併せて覚えたい言葉・用語

横口式石槨(よこぐちしきせっかく)

石をくり抜くか切石を組んでつくった小さな棺室。横に開口部があり、終末期の古墳に多い。

陪冢(ばいちょう)

大きな古墳のそばに寄り添うように築かれた小さな墓。従者や副葬品を納めたとされる。

双墓(ならびばか)

二つの墓を並べて築いたもの。夫婦や親子を葬ったと考えられる例がある。

ほぞ穴(ほぞあな)

石を割るために並べて開ける穴。楔を打ち込んで石材を切り出すときに使う。