磐之媛命の陵として治定されている、佐紀盾列古墳群の巨大前方後円墳。
ヒシアゲ古墳とはどんな古墳か
奈良県奈良市佐紀町にある前方後円墳です。堺市がまとめた全国の古墳大きさランキングは、この古墳を「ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)」として墳丘規模219メートル、第24位に置いています。
宮内庁は、第16代仁徳天皇の皇后とされる磐之媛命の平城坂上陵として管理しています。治定は行政上の扱いであって、葬られた人が学問的に確かめられたという意味ではありません。
佐紀盾列古墳群に属します。堺市の一覧には、この一帯の古墳が並びます。五社神古墳(神功陵)が275メートル、ウワナベ古墳が255メートル、市庭古墳(平城陵)が250メートル、コナベ古墳が204メートル。奈良盆地の北のはずれに、二百メートル級の古墳が固まっています。
ヒシアゲ古墳の読み方と別名
読みは「ひしあげこふん」です。古墳の名としては珍しく、カタカナのまま表記されます。堺市の全国の古墳大きさランキングも「ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)」と書いています。
堺市のいたすけ古墳がひらがなのまま書かれるのと同じで、漢字を当てないまま定着した名です。字を当てれば意味が付いてしまうため、音だけを残しているとも考えられます。土地には「ヒシゲ」という小字の名が伝わるといわれます。
もう一つの名が平城坂上陵です。「ならさかのえのみささぎ」と読み、平城山の坂の上という意味になります。奈良の市街から北へ向かうと、なだらかな坂が続きます。その坂の上にあたる場所です。
ヒシアゲ古墳(ひしあげこふん)
カタカナで書かれる珍しい名。堺市の全国一覧もこの表記で載せている。
磐之媛陵(いわのひめのみささぎ)
治定にもとづく呼び方。堺市の一覧は「ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)」と併記している。
平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)
宮内庁が定めるとされる陵名。陵名を記した宮内庁のページは確認できませんでした。
ヒシアゲ古墳は誰の墓か
この古墳に葬られた人が誰かは、わかっていません。
宮内庁は、第16代仁徳天皇の皇后とされる磐之媛命の平城坂上陵として管理しています。堺市の全国一覧にも「ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)」の名で載ります。治定は行政上の扱いであって、発掘によって確かめられたものではありません。
磐之媛命は、記紀に伝えられる人物です。仁徳天皇の皇后で、天皇と別れて山城の筒城宮に移り、そこで没したと語られます。
もし治定のとおりなら、仁徳天皇の陵として治定されている堺市の大仙陵古墳(486メートル)と、この古墳(219メートル)が夫婦の陵ということになります。ただし二つは遠く離れており、規模も倍以上違います。宮内庁が管理しているため、墳丘を掘って確かめることはできません。
宮内庁の治定。行政上の扱いであり、学術的に確かめられたものではない:磐之媛命(第16代仁徳天皇の皇后とされる人物)
堺市の全国一覧に「ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)」と、古墳名と治定名を併記した形で載る。
断定できない:わかっていない
公表されているのは古墳名・規模・所在地だけで、被葬者を確かめた根拠にあたる記載は無い。
ヒシアゲ古墳の大きさと形
堺市の全国の古墳大きさランキングは、この古墳の墳丘規模を219メートルとし、全国第24位に置いています。所在地は奈良県奈良市佐紀町と記されています。
同じ第24位に並ぶのが、天理市の西殿塚古墳(手白香皇女陵)です。こちらも219メートル。西殿塚古墳については、真の陵は同じ大和古墳群の西山塚古墳ではないかという説が知られます。
前後を見ると、第23位が広陵町の巣山古墳で220メートル、第26位が佐紀石塚山古墳(成務陵)で218メートル。一メートル刻みで巨大古墳が並びます。後円部の径や高さといった細かい数字を記した公式ページは、確認できませんでした。
墳丘規模(全長):219メートル
全国での順位:第24位(219メートル)
所在地:奈良県奈良市佐紀町
同じ順位の古墳:西殿塚古墳(手白香皇女陵) 219メートル
仁徳天皇陵古墳との差:486メートル(第1位)と219メートル
ヒシアゲ古墳はいつ作られたか
この古墳の築造年代を記した公式ページを、確かめられませんでした。堺市の一覧が載せているのは、古墳名と規模と所在地だけです。
下調べによれば、築造は5世紀の中ごろから後半と思われるとされます。仁徳天皇の皇后とされる人物が生きたとされる時期と、大きくずれるわけではありません。
佐紀盾列古墳群は、奈良盆地の東南部から王墓級の古墳が移ってきた先とされます。大和古墳群や柳本古墳群が古墳時代前期、この一帯が前期の終わりから中期にかけて。王の墓域が、盆地の中で移り動いていったことになります。
同じ時期に、大阪では大仙陵古墳や上石津ミサンザイ古墳といった巨大古墳が築かれています。ただし、これらは公式ページで確かめられたものではありません。
ヒシアゲ古墳の場所と行き方(観光情報)
佐紀盾列古墳群は、奈良盆地の北の縁、平城宮跡の北側に広がります。堺市の一覧に載る古墳だけでも、この一帯に六基が集まっています。
多くが宮内庁の管理する陵墓で、墳丘に立ち入ることはできません。そのぶん、まとまった緑地として残されました。奈良市の市街地の北に、二百メートル級の古墳が並ぶという光景がいまも見られます。
ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)
ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)の住所:奈良県奈良市佐紀町
交通:公式に確認できませんでした
駐車場:公式に確認できませんでした
料金:公式に確認できませんでした
内部見学:治定を受けた陵墓は、原則として墳丘に立ち入ることができません。この古墳について、立ち入りや拝所の案内を記した公式ページは確認できませんでした
所在地は、堺市の全国の古墳大きさランキングが記す奈良県奈良市佐紀町です。行き方、駐車場、料金を記した公式ページは確認できませんでした。
同じ佐紀町には、堺市の一覧で第14位の市庭古墳(平城陵、250メートル)も載っています。近くには法華寺町のウワナベ古墳(255メートル)、法華寺北町のコナベ古墳(204メートル)、山陵町の五社神古墳(神功陵、275メートル)が並びます。
ヒシアゲ古墳の発見と調査の歩み
二重の濠という珍しい造り
この古墳の造りで知られているのが、前方部にめぐる二重の濠です。
濠が二重、三重にめぐる古墳は、堺市の大仙陵古墳のように最上級の古墳に限られます。その造りが、二百メートル級のこの古墳にも見られるということです。
1993年の調査では、後円部の東側のくびれ部にあたる内堤の外側の肩の部分で円筒埴輪の列が見つかり、外濠を横切る渡土堤の存在も確かめられたとされます。
現在は奈良県の事業により公園として整えられ、一部で遺構が復元されているといわれます。ただし、これらは公式ページで確かめられたものではありません。墳丘そのものは宮内庁の管理下にあります。
同じ219メートルが二基
堺市の全国の古墳大きさランキングで、この古墳と同じ第24位に並ぶのが、天理市中山町の西殿塚古墳です。どちらも219メートル。
面白いのは、二基とも皇后の陵として治定されている点です。ヒシアゲ古墳は仁徳天皇の皇后とされる磐之媛命、西殿塚古墳は継体天皇の皇后とされる手白香皇女。同じ長さの古墳が、二人の皇后の陵として並んでいます。
ただし、西殿塚古墳のほうは治定が疑われています。築造年代が、手白香皇女が生きたとされる時期よりはるかにさかのぼると考えられているためです。そのため、同じ大和古墳群に属する西山塚古墳のほうが真の陵ではないか、という説が知られます。数字の上で並ぶ二基が、治定という点ではまるで違う立場に置かれています。
夫の陵は、百キロ先にある
宮内庁の治定にしたがえば、この古墳の被葬者は仁徳天皇の皇后です。
では、その夫の陵はどこか。堺市の全国の古墳大きさランキングの第1位、大阪府堺市堺区大仙町の仁徳天皇陵古墳(大山古墳)、486メートルです。妻の陵が奈良市佐紀町、夫の陵が堺市大仙町。まったく別の場所にあります。
規模も倍以上違います。486メートルと219メートル。
記紀は、磐之媛命が天皇と別れて山城の筒城宮に移り、そこで没したと伝えます。その話にしたがえば、別々の場所に葬られたことにも説明が付きます。ただし、それは記紀の話であって、古墳を確かめる根拠にはなりません。
ヒシアゲ古墳から出土したもの
この古墳の埋葬施設と副葬品については、何もわかっていません。宮内庁が管理する陵墓で、墳丘を掘ることができないためです。
知られているのは、濠や内堤といった、管理の及ぶ範囲の外側で確かめられたものだけです。1993年の調査で円筒埴輪の列と渡土堤が見つかったとされますが、これらは公式ページで確かめられたものではありません。
円筒埴輪
内堤の外側の肩の部分で列が見つかったとされる。1993年の調査による。
渡土堤
外濠を横切る土の堤。濠を渡るための構造とみられ、存在が確かめられたとされる。
二重濠
前方部にめぐる二重の濠。最上級の古墳に限られる造りとされる。
埋葬施設
宮内庁が管理する陵墓のため掘ることができず、構造も副葬品もわかっていない。
ヒシアゲ古墳と関連する古墳
ヒシアゲ古墳についてよくある質問
ヒシアゲ古墳は誰の墓ですか。
わかっていません。宮内庁は第16代仁徳天皇の皇后とされる磐之媛命の平城坂上陵として管理していますが、治定は行政上の扱いで、学問的に確かめられたものではありません。
ヒシアゲ古墳はどこにありますか。
堺市の全国の古墳大きさランキングは、所在地を奈良県奈良市佐紀町としています。平城宮跡の北側に広がる佐紀盾列古墳群に属します。
ヒシアゲ古墳の大きさはどれくらいですか。
堺市によれば墳丘規模は219メートルで、全国第24位です。同じ順位に天理市の西殿塚古墳が並びます。後円部の細かい数字は確認できませんでした。
ヒシアゲ古墳はいつ作られましたか。
築造年代を記した公式ページは確認できませんでした。下調べでは5世紀の中ごろから後半とされています。
ヒシアゲ古墳の中に入れますか。
立ち入りについて記した公式ページは確認できませんでした。治定を受けた陵墓は、原則として墳丘に立ち入ることができません。
ヒシアゲ古墳と併せて覚えたい言葉・用語
二重濠(にじゅうごう)
墳丘のまわりに濠が二重にめぐる造り。最上級の古墳に限られるとされる。
渡土堤(わたりどて)
濠を横切って渡れるようにした土の堤。まつりや工事に使われたとみられる。
内堤(うちづつみ)
二重の濠のあいだにある土手。埴輪が並べられることがある。
佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)
奈良盆地の北の縁に広がる古墳群。二百メートル級の古墳が集まっている。
ヒシアゲ古墳の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。